コラム

私たちの内に潜む「小さなプーチン」──古典『闇の奥』が予言する、2023年の未来とは

2022年12月16日(金)08時44分


小説版の『闇の奥』は本来、ベルギーの植民地だった中央アフリカのコンゴを舞台とした中編で、植民地会社の凄腕官吏として同地を支配するクルツ(先の引用文に言う「彼」)という、異様な悪漢の相貌を描いている。

クルツは当初、植民地の経営は「文明化、進歩化、教化の中心でなければならぬ」 といった理想論を唱えて、利益優先の同僚たちに疎まれるほどの情熱家だった。しかし実務を執るうちに威圧と暴力のみに依存した、人間不信とニヒリズムに基づく統治に傾斜し、原住民を畏怖させる一方で法を逸脱してゆく。

実際に当時のコンゴでは、ベルギー王レオポルド2世の私有地という形態をとったこともあり、強制労働のノルマを達成しない住民の腕を切り落とすといった、同時代の他の植民地に比しても異常なジェノサイドが進行していた。殺害された人数は、20年間で数百万人以上ともされる。

さて、2022年のいま注目されるのは、コンラッドがこのクルツに心酔する助手として、ロシア人の若者を登場させていることだ。

コンラッドの一家は父親のポーランド民族主義のために、ロシア帝国の迫害を受け、両親はともに流刑先で没した。しかしコンラッドはこのロシア人助手──(おそらくはロシア正教の)首席司祭の息子を、むしろ危ういほど純朴な青年として描いている。

アフリカ分割競争の末尾に登場したベルギーのさらに後方に見える、欧州で「最も若い帝国主義国」としてのロシアの未来を、仮託した人物造形とみてよいだろう。

暴君と化したクルツはすでに病身で、会社による更迭が迫っていた。没落の危険を感じたロシア人助手は、主人公にクルツの「偉大さ」をひとしきり弁じた後で、行方をくらます。

いまロシアに君臨し、諸外国はおろか自国民すらも内心では信じず、もっぱら軍事的な強制によってウクライナの「植民地化」を目指すかにも見えるプーチンは、この助手のその後の姿にも見えてくる。

実はコッポラに先んじること40年前の1939年、オーソン・ウェルズが『闇の奥』の映画化を企画して果たせなかったとき、クルツに擬したのは同時代の独裁者ヒトラーだった。眼前の固有名詞(戦争や独裁者の名前)こそ変われども、不変の「本質」を伝えてくれる作品のことを、私たちは長らく「古典」と呼んできた。

私たちが生きる2020年代の、「旬の話題」ばかりが入れ替わってなにひとつ問題は解決しない軽薄さは、そうした現在の鑑としての古典との接し方を、私たちが見失ったことに起因する。

プロフィール

與那覇 潤

(よなは・じゅん)
評論家。1979年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科で博士号取得後、2007~17年まで地方公立大学准教授。当時の専門は日本近現代史で、講義録に『中国化する日本』『日本人はなぜ存在するか』。病気と離職の体験を基にした著書に『知性は死なない』『心を病んだらいけないの?』(共著、第19回小林秀雄賞)。直近の同時代史を描く2021年刊の『平成史』を最後に、歴史学者の呼称を放棄した。2022年5月14日に最新刊『過剰可視化社会』(PHP新書)を上梓。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

インド製造業PMI、3月は8カ月ぶり高水準 新規受

ワールド

中国軍が東シナ海で実弾射撃訓練、空母も参加 台湾に

ビジネス

ユニクロ、3月国内既存店売上高は前年比1.5%減 

ビジネス

日経平均は続伸、米相互関税の詳細公表を控え模様眺め
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 9
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 10
    【クイズ】2025年に最も多くのお金を失った「億万長…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story