コラム

私たちの内に潜む「小さなプーチン」──古典『闇の奥』が予言する、2023年の未来とは

2022年12月16日(金)08時44分
プーチン

Aksenovko-iStock

<社会から強制されることを歓迎すらしてしまう、私たちの危うさ。それに呑み込まれた体験を忘却し、あたかも美しいストーリーとして語り直す、歴史修正主義の闇が始まる>

2022年ほど、「時間の流れ方」が不透明な1年はなかったように思う。

2月末から連日報道されたロシアとウクライナの全面戦争は、体感としてはあたかも数年間は続いているような気がする。一方で逆に、日本の街路でマスク姿の人しか見ないという奇観が、数え直せば2020年3月から3年近く続いていることに気づくと、流れた歳月の長さに愕然としてしまう。

私たちの、時間の「長短」を感じる感覚は、狂ってしまったのだろうか? 必ずしも、そうとは言い切れない。

重い病気でうなされる際に、人は時間が一瞬で流れるのか、永遠に停滞するのかも判然としない、人生のカレンダーが壊れたような感覚を味わう(福嶋亮大『感染症としての文学と哲学』)。だから世界の全体が「病んでいる」時代には、均質なペースで年月を測れなくなるのはむしろ自然なのだ。

たとえば2022年のウクライナ戦争の発生を、1991年末にソビエト連邦が崩壊して以来続いた、「帝国解体」のプロセスとして捉える見方がある(歴史家ドミニク・リーベン。初出は英国Economist誌)。同時期に解体した旧ユーゴスラビアでは、1991~2001年にわたる長期の内戦が続いたが、ロシアとウクライナとの間では同じものが「遅れてやってきた」と見るわけだ。

そうした視点に立てば、ウクライナをめぐる民族紛争は(狭義の戦争の形をとるかは別にして)すでに「30年戦争」になっている。今年の1年間には収まりきらない「長い戦争」の影を感じ取ることにも、ゆえんはあると言えよう。

一方で、行動規制からもワクチンの推奨からも撤退する例が目立つ世界の各国に照らせば、新型コロナウイルス禍はすでに「終わった些事」だろう。それは1957年のアジア風邪のような、マニアックな医療史にのみ残る小事に過ぎず、「あんなものに、もう3年もかかずりあっているの?」と驚くのが正しい感覚だ(拙著『歴史なき時代に』参照)。

私たちはいまもそれなりに、ことの「軽重」を感じ分ける身体性を備えている。しかしそれを機械的に、単に西暦何年から何年といった意味での「長短」と混同すると、間違えることがある。

そうした目で読むとき、ウクライナ戦争以降に改めて時代の古典となるだろう、一冊の小説がある。


「僕は、彼女が、「時」の慰みものにされない人間たちのなかのひとりであることを見てとったのだった。彼女にとって、彼の死は、「時」を超えて、ほんの昨日のことだったのだ。そして、その印象があまりにも強烈だったので、なんと、僕までもが、彼の死んだのがほんの昨日のこと──いや、今のこの瞬間の出来事に思えてきた。」(藤永茂訳、三交社 、194頁)

1899年が初出の『闇の奥』の著者コンラッドは、民族的な出自から「ポーランド系イギリス人」として紹介されることが多い。しかし彼の出生地ベルディチェフは、今日の国境線に基づけばウクライナに属する。

冷戦下の記憶を持つ世代には、フランシス・コッポラ監督が直近のベトナム戦争を描いた大作『地獄の黙示録』(1979年。サイゴン陥落が75年)の原作として、覚えている人も多い作品だ。だから、いま同作をウクライナ戦争に照らして読み直すのは、特に突飛なことではない。

プロフィール

與那覇 潤

(よなは・じゅん)
評論家。1979年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科で博士号取得後、2007~17年まで地方公立大学准教授。当時の専門は日本近現代史で、講義録に『中国化する日本』『日本人はなぜ存在するか』。病気と離職の体験を基にした著書に『知性は死なない』『心を病んだらいけないの?』(共著、第19回小林秀雄賞)。直近の同時代史を描く2021年刊の『平成史』を最後に、歴史学者の呼称を放棄した。2022年5月14日に最新刊『過剰可視化社会』(PHP新書)を上梓。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

スウェーデン、バルト海の通信ケーブル破壊の疑いで捜

ワールド

トランプ減税抜きの予算決議案、米上院が未明に可決

ビジネス

ユーロ圏総合PMI、2月50.2で変わらず 需要低

ビジネス

英企業、人件費増にらみ雇用削減加速 輸出受注1年ぶ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 9
    ハマス奇襲以来でイスラエルの最も悲痛な日── 拉致さ…
  • 10
    ロシアは既に窮地にある...西側がなぜか「見て見ぬふ…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 8
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 9
    週に75分の「早歩き」で寿命は2年延びる...スーパー…
  • 10
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 5
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 6
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 7
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story