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私たちの内に潜む「小さなプーチン」──古典『闇の奥』が予言する、2023年の未来とは
Aksenovko-iStock
<社会から強制されることを歓迎すらしてしまう、私たちの危うさ。それに呑み込まれた体験を忘却し、あたかも美しいストーリーとして語り直す、歴史修正主義の闇が始まる>
2022年ほど、「時間の流れ方」が不透明な1年はなかったように思う。
2月末から連日報道されたロシアとウクライナの全面戦争は、体感としてはあたかも数年間は続いているような気がする。一方で逆に、日本の街路でマスク姿の人しか見ないという奇観が、数え直せば2020年3月から3年近く続いていることに気づくと、流れた歳月の長さに愕然としてしまう。
私たちの、時間の「長短」を感じる感覚は、狂ってしまったのだろうか? 必ずしも、そうとは言い切れない。
重い病気でうなされる際に、人は時間が一瞬で流れるのか、永遠に停滞するのかも判然としない、人生のカレンダーが壊れたような感覚を味わう(福嶋亮大『感染症としての文学と哲学』)。だから世界の全体が「病んでいる」時代には、均質なペースで年月を測れなくなるのはむしろ自然なのだ。
たとえば2022年のウクライナ戦争の発生を、1991年末にソビエト連邦が崩壊して以来続いた、「帝国解体」のプロセスとして捉える見方がある(歴史家ドミニク・リーベン。初出は英国Economist誌)。同時期に解体した旧ユーゴスラビアでは、1991~2001年にわたる長期の内戦が続いたが、ロシアとウクライナとの間では同じものが「遅れてやってきた」と見るわけだ。
そうした視点に立てば、ウクライナをめぐる民族紛争は(狭義の戦争の形をとるかは別にして)すでに「30年戦争」になっている。今年の1年間には収まりきらない「長い戦争」の影を感じ取ることにも、ゆえんはあると言えよう。
一方で、行動規制からもワクチンの推奨からも撤退する例が目立つ世界の各国に照らせば、新型コロナウイルス禍はすでに「終わった些事」だろう。それは1957年のアジア風邪のような、マニアックな医療史にのみ残る小事に過ぎず、「あんなものに、もう3年もかかずりあっているの?」と驚くのが正しい感覚だ(拙著『歴史なき時代に』参照)。
私たちはいまもそれなりに、ことの「軽重」を感じ分ける身体性を備えている。しかしそれを機械的に、単に西暦何年から何年といった意味での「長短」と混同すると、間違えることがある。
そうした目で読むとき、ウクライナ戦争以降に改めて時代の古典となるだろう、一冊の小説がある。
「僕は、彼女が、「時」の慰みものにされない人間たちのなかのひとりであることを見てとったのだった。彼女にとって、彼の死は、「時」を超えて、ほんの昨日のことだったのだ。そして、その印象があまりにも強烈だったので、なんと、僕までもが、彼の死んだのがほんの昨日のこと──いや、今のこの瞬間の出来事に思えてきた。」(藤永茂訳、三交社 、194頁)
1899年が初出の『闇の奥』の著者コンラッドは、民族的な出自から「ポーランド系イギリス人」として紹介されることが多い。しかし彼の出生地ベルディチェフは、今日の国境線に基づけばウクライナに属する。
冷戦下の記憶を持つ世代には、フランシス・コッポラ監督が直近のベトナム戦争を描いた大作『地獄の黙示録』(1979年。サイゴン陥落が75年)の原作として、覚えている人も多い作品だ。だから、いま同作をウクライナ戦争に照らして読み直すのは、特に突飛なことではない。
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