コラム

なぜ「ウクライナは降伏すべき」と主張する日本人が出てくるのか

2022年04月01日(金)11時50分
ウクライナ地図

naruedom-iStock

<侵略戦争は常に、世界を見る上での自らの「遠近法」を疑おうとしない国が起こす。そして冷戦以降のアメリカが証明したように、その行動は失敗する運命にある>

『トワイライト・ストラグル』という、1945~89年の米ソ冷戦史を追体験できることで著名なボードゲームがある。いまはカード等も含めて日本語化されたものが手に入るし、英語版でならアプリでもプレイできる。

米国ないしソ連を担当して、世界各国に自国の影響力を扶植してゆくのだが、地道に勢力を拡大するより一挙に軍事行動(主にクーデター)を仕掛けた方がしばしば手っ取り早いという、身もふたもないリアリズムが特色だ。

さらに皮肉なのは米ソによる「核の均衡」の、ゲーム内容への反映のさせ方だ。クーデターは効率的だが、主要国で1回起こすごとに核戦争への危険度が増して「相互に軍事行動禁止」の地域が設定され、逆説的ながら危険度が下がるまでその地域は「平和」になる(クーデター等を起こせなくなる)。

まずヨーロッパ、次にアジア、その後に中東と、核危機の深まりに連れ3段階で米ソともに軍事行動のできない地域が広がり、逆にいうと中南米とアフリカではゲームの最後まで、(主要国を除けば)「クーデターし放題」の状態が続く。

注意したいのは、このゲームのデザイナーはアメリカ人だということだ。だからプレイを進めてゆくと欧州が最も平和で安定し、波乱含みながらアジアがそれに次ぎ、中東は混迷を深め、そのほかの地域は最底辺のカオスを自ずと呈することになる。

よかれ悪しかれ、日本人もまた世界情勢を見るときに、そうした遠近法のグラデーションに慣れてしまって久しい。

2022年2月から文字通り世界を揺るがしているウクライナ戦争は、しかしそうした私たちの尺度とは「逆向きの遠近法」の持ち主が国際社会には存在し、巨大な暴力を振るい得るという現実を明らかにした。

そもそもプーチンがロシアの実権を掌握した契機は1999年、中央アジアを舞台とする第二次チェチェン紛争で、首相として軍事制圧一辺倒の強硬路線を指揮し、当時のエリツィン大統領から後継指名を手にしたことだった。2015年にはシリア内戦に介入して反体制勢力をやはり武力で圧殺し、政府軍の化学兵器使用も後援したとされる。

もちろん主権国家であるウクライナに対する侵略と、チェチェンやシリアで発生した「内戦」への介入とでは、国際法上の位置づけが異なる。

しかしチェチェンやシリアの際にはプーチンの所業にさして関心を持たなかった、多くの欧米人や日本人がウクライナでの戦争発生に慌てふためく理由は、むしろ「先進国」を対象にしてすらアジア周辺部や中東と同様の蛮行が生じうるという、自らの遠近法を掻き乱される事態に遭遇した衝撃の方が大きいだろう。

逆にいうとプーチンや、彼に拍手する戦争支持派のロシア人の頭の中には、おそらく私たちとはまるで異なる遠近法があり、彼らはそれで世界地図を見ている。

プロフィール

與那覇 潤

(よなは・じゅん)
評論家。1979年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科で博士号取得後、2007~17年まで地方公立大学准教授。当時の専門は日本近現代史で、講義録に『中国化する日本』『日本人はなぜ存在するか』。病気と離職の体験を基にした著書に『知性は死なない』『心を病んだらいけないの?』(共著、第19回小林秀雄賞)。直近の同時代史を描く2021年刊の『平成史』を最後に、歴史学者の呼称を放棄した。2022年5月14日に最新刊『過剰可視化社会』(PHP新書)を上梓。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

トヨタ系部品各社、米関税の業績織り込みに差 デンソ

ビジネス

アングル:外需に過剰依存、中国企業に米関税の壁 国

ワールド

中国、米関税の影響大きい企業と労働者を支援へ 経済

ワールド

ウクライナ、一時的な領土放棄が必要になる可能性=キ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは?【最新研究】
  • 2
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 3
    日本の10代女子の多くが「子どもは欲しくない」と考えるのはなぜか
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 6
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 7
    【クイズ】世界で最もヒットした「日本のアニメ映画…
  • 8
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 9
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 10
    欧州をなじった口でインドを絶賛...バンスの頭には中…
  • 1
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 2
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇した「透けレギンス」投稿にネット騒然
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    【クイズ】売上高が世界1位の「半導体ベンダー」はど…
  • 9
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 10
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 8
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story