コラム

なぜ「ウクライナは降伏すべき」と主張する日本人が出てくるのか

2022年04月01日(金)11時50分

彼らなりにたどってきた「ポスト冷戦史」の視点では、1999年のチェチェンと2015年のシリアの延長線上に2022年のウクライナがあるのに、なぜ今回だけは国際社会が「妙に騒ぎ」、制裁のレベルが「異様に重い」のか、心底理解できない――おそらくはそれが、いま「向こう側」にいる人々の肌感覚なのだろう。

米ソの冷戦とは自由民主主義と共産主義という、西欧の近代社会が生み落とした二大政治思想の「頂上決戦」に見えた。1989年に明白になったのは前者の勝利だったが、しかし私たちはそれを過大評価してきたように思う。

自由民主主義の体制が安定した欧米諸国を「人類の進歩」の先端に置き、そうしたスケール(尺度)を前方へと歩むほど戦争の危機から解放され、平和が保障される地域になるはずだとする世界地図の見方を支持する人の範囲は、実際には「グローバル」よりもだいぶ狭かったのだ。

プーチンという「まったく別の遠近法」の持ち主によって、旧西側世界の尺度では「先進地域」に位置づけられ得るはずのウクライナに、「後進地域」に限られるものと思われてきた野蛮な殺戮が出現したことが、私たちを混乱させている。

「ウクライナは降伏した方がよい」との失言で炎上する日本人の識者が後を絶たないのは、彼らが――欧米圏から悲惨な戦火の映像が届く日は来ないとする――自らの遠近法を「これからも維持したい」という欲求を、無自覚に優先してしまっているからだろう。

しかし歴史が証明するように、自身の遠近法を疑い得ない者は必ず敗れ去る。冷戦に勝利したはずのアメリカは2000年代の初頭、「自由民主主義への導き」を万人共通の尺度だと錯覚して内戦状態のアフガニスタン、そして主権国家イラクへと軍事介入し、長期的にはどちらでも敗北した。

「"ネオナチ"の脅威を排除する」と呼号してのロシアのウクライナ侵攻は、かつて「テロの脅威を取り除く」として泥沼に突き進んだアメリカを、20年遅れでなぞるかのように見える。そして住民は「解放者」を歓呼で迎えるはずだといった手前勝手な独断が、現地の抵抗と国際社会の批判の前に画餅に帰すまでの時間は、今回の方が遥かに短い。

冷戦に勝利し、世界を席巻するかに見えた米国の遠近法は、クリントン―ブッシュ(子)時代の「自己過信」を経て、オバマ―トランプ―バイデンと減衰の一途をたどった。敗者としてまた別の遠近法の牙を研ぎ続けたプーチンのロシアも、ウクライナの合法政権をも武力で制圧可能とする「慢心」の果てに、同じ失敗を追うことになるだろう。

私たちが立場を問わず肝に銘じるべきは、もし「現実」とその「見方」(遠近法)とが食い違うとしたら、間違っているのは常に後者だというシンプルな事実だ。

その残酷さに目を凝らすところから、世界地図の「見方自体が異なる」諸勢力と対峙し共存してゆくという、真に冷戦の遺産が食い尽くされた後の新しいゲームが始まるのだと思う。

kawatobook20220419-cover150.jpg
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

『日本がウクライナになる日』(CCCメディアハウス) ニューズウィーク日本版コラムニストの河東哲夫氏が緊急書き下ろし!ロシアを見てきた外交官が、ウクライナ戦争と日本の今後を徹底解説します[4月22日発売]

プロフィール

與那覇 潤

(よなは・じゅん)
評論家。1979年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科で博士号取得後、2007~17年まで地方公立大学准教授。当時の専門は日本近現代史で、講義録に『中国化する日本』『日本人はなぜ存在するか』。病気と離職の体験を基にした著書に『知性は死なない』『心を病んだらいけないの?』(共著、第19回小林秀雄賞)。直近の同時代史を描く2021年刊の『平成史』を最後に、歴史学者の呼称を放棄した。2022年5月14日に最新刊『過剰可視化社会』(PHP新書)を上梓。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米英首脳、両国間の投資拡大を歓迎 「特別な関係」の

ワールド

トランプ氏、パレスチナ国家承認巡り「英と見解相違」

ワールド

訂正-米政権、政治暴力やヘイトスピーチ規制の大統領

ビジネス

英中銀が金利据え置き、量的引き締めペース縮小 長期
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の物体」にSNS大爆笑、「深海魚」説に「カニ」説も?
  • 2
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍、夜間に大規模ドローン攻撃 国境から約1300キロ
  • 3
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ」感染爆発に対抗できる「100年前に忘れられた」治療法とは?
  • 4
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    アジア作品に日本人はいない? 伊坂幸太郎原作『ブ…
  • 7
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 8
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 9
    中国経済をむしばむ「内巻」現象とは?
  • 10
    「ゾンビに襲われてるのかと...」荒野で車が立ち往生…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる」飲み物はどれ?
  • 4
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 5
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 6
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    「何だこれは...」クルーズ船の客室に出現した「謎の…
  • 10
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 7
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 8
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 9
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 10
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story