ドイツの街角から
世界の薬局コロナワクチンメーカー「バイオンテック社」が地元マインツにもたらした恩恵 赤字財政から10憶ユーロの黒字に
ラインラント・プファルツ州の州都マインツ市は今年、3,600万ユーロの赤字財政から一転して10億ユーロ以上の財政黒字を達成する見込みだ。同市に本拠を置くコロナワクチンメーカー「バイオンテック社」の事業税が地元に想像を絶する発展の恩恵をもたらしたからだ。
世界の薬局「バイオンテック社」
日本ではあまり認識されていないかもしれないが、コロナワクチンを生んだのはバイオンテック社だ。同社を起業したのはがん免疫法専門のウグル・シャーヒン博士と妻エズレム・テュレチ博士。コロナ禍以前は、社名も両博士の名もほとんど知られていなかったのではと思う。
シャーヒン博士は4歳の時に母親と共に、すでにドイツで働いていた父のもとにトルコから移り住んだ。彼は両親についてこう語っている。「親は子供に可能性を広げたいと、毎朝4時半に起きて仕事に向かった。子供に自分たちより高い教育を受けさせたかったから」。シャーヒン博士はそんな親の背中を見て育った。妻テュレチ博士は、医師だった父親がイスタンブールからドイツへ移住し、その後ドイツで生まれた。
両博士は、ザールランド大学医学センター・がん研究所で出会った。2002年に二人は結婚したが、その後向かったのは、新婚旅行ではなく、当時設立したがん免疫治療薬開発会社のラボというから、いかに研究熱心かよくわかる。
話はそれるが、夫妻は自家用車を持っていない。シャーヒン博士が大型バックパックを背に自転車で通勤する姿は、今もドイツのメディアでよく目にする。
バイオンテック社は2008年、がんの免疫治療のための医薬品開発を目的として創始したスタートアップ企業だ。同社は、わずか1年足らずで、高度な科学的・倫理的基準に従ってCOVID-19 mRNAワクチンを開発することができた。成功の背景には、シャーヒン博士が米国ファイザー社にコンタクトをとり、業務提携を実現させたことも功を奏した。
こうして同社は、世界の薬局として多くの命を救った。現在バイオンテック社は本社マインツを含め、国内外10社に拠点を置く大企業となった。
両博士は今年3月、ドイツ連邦共和国功労勲章を受章した。ちなみにコロナ終息後、夫妻は、再びがん研究に注力したいと語っている。
ここではバイオンテック社の貢献に焦点を置き、トルコ系移民については別の機会に触れてみたい。なおシャーヒン博士によると社名は、ビオンテックでもバイオンテックでも構わないという。この記事ではドイツで頻繁に称されるバイオンテックとした。
マインツに世紀のチャンスをもたらした
著者プロフィール
- シュピッツナーゲル典子
ドイツ在住。国際ジャーナリスト協会会員。執筆テーマはビジネス、社会問題、医療、書籍業界、観光など。市場調査やコーディネートガイドとしても活動中。欧州住まいは人生の半分以上になった。夫の海外派遣で4年間家族と滞在したチェコ・プラハでは、コンサートとオベラに明け暮れた。長年ドイツ社会にどっぷり浸かっているためか、ドイツ人の視点で日本を観察しがち。一市民としての目線で見える日常をお伝えします。
Twitter: @spnoriko