ローマ教皇のイラク訪問は何を意味するのか?
ところで、フランシスコ教皇のイラク訪問で注目すべき点は、見捨てられがちなキリスト教徒コミュニティーを見舞っただけではない。眼目のひとつは、ナジャフのシーア派宗教界最高権威、アリー・スィスターニーと面談したことである。
教皇が中東を訪問すること自体は、新しいことではない。聖地エルサレムを含むイスラエル、パレスチナ、ヨルダンといった聖書の舞台には、1964年に訪問している。だが、それ以降は21世紀に入るまで、中東への旅はほとんど行われていなかった。それを活発化したのはヨハネパウロ二世で、ミレニアムの機会にイスラエル/パレスチナとその周辺諸国に加えて、エジプト、モロッコ、チュニジア、スーダンを訪問した。
特に現教皇のフランシスコは、異なる宗教間の対話に熱心だ。彼は、2017年にエジプトを訪問した際、画期的なことに、スンナ派イスラームの最高学府であるアズハル学院で説教を行った。以来、アズハルの大イマームであるアフマド・タイイブとは密な交流を続けている。2019年には、両者ともにUAEのアブダビを訪問して、人道友愛文書に署名した。UAEは移民労働者の劣悪な労働環境がしばしば問題になるが、そこでフィリピン人などキリスト教徒の移民労働者に向けてミサが行われた。
その流れのなかでの今回のイラク訪問である。スンナ派のトップとはパイプができたのだから、次はシーア派宗教界だ、というわけか。
シーア派宗教界の中心たるハウザ(トップクラスの宗教学者による学問拠点)は、イランのコムとイラクのナジャフが二大拠点だが、ナジャフのアリー・スィスターニーは、最高権威(マルジャア)として戦後のイラクで絶大な社会的影響力を誇ってきた。政治には干渉しないことをモットーにしつつ、戦後や内戦期の無秩序を諫める宗教令を出したり、国家の長は住民たるイスラーム教徒によってえらばれなければならない、との宗教令で民選議会の設立を促したりと、イラク戦争後の政治を大きく左右してきた。なかでもその影響力が発揮されたのがISに対する祖国防衛の呼びかけで、それに応じて多くのシーア派信徒が、瓦解した国軍に変わって義勇兵として対IS掃討作戦に身を投じた。
聖都ナジャフの面目躍如
とはいえ、スィスターニーの鶴の一声ですべて政治が動くわけではない。最近の彼は、イラク政界の主流を占める親イラン派連合と距離を置いたり、反政府デモに対する政府の容赦ない弾圧を批判したりして、政権中枢にあるシーア派イスラーム政党との間には溝がある。信徒からは絶大な支持を受けながらその政治的威光には陰りがあるなかで、教皇の訪問を受けたことは、改めてスィスターニーの重要性を世界に知らしめることになったに違いない。同時に、親イラン派をうまく制御したい民間出身のカーズィミー首相としては、教皇訪問にスィスターニーを担ぎ出したことで、大いに株を上げることができたといえる。
さらにはイラクのシーア派宗教界にとっても、株の上がる出来事だったに違いない。「シーア派宗教界の代表といえばイランのコムではなく、イラクのナジャフだ!」と印象づけることができたからだ。2003年以降のイラクは、政治的にも経済的にもイランの影響力を抜きにしては成立しない。イラクのシーア派聖地もまた、イランからの巡礼客が落としていくカネで潤っている側面が強い。同じ聖地で隣の県にあるカルバラは、巡礼者向けの高級ホテルが立ち並んだり聖廟が豪華に建て直されたりと、見るからにゴージャスで活気がある。
だが、スィスターニーら宗教者たちが学ぶ学都たるナジャフは、清貧を地でいく質素さだ。イランのシーア派聖地に比べて、見劣りがする。だが、それこそが正しい宗教者としての在り方なのだ、というのがナジャフ式なのかもしれない。薄汚れた路地を教皇が歩き、なんの飾りもないそっけない客間でスィスターニーと対峙する姿は、イランに対抗する聖地ナジャフの面目躍如だったに違いない。
84歳のフランシスコ教皇と90歳のスィスターニーの対話で何かが変わるほど、政治は簡単ではない。教皇が来たからといって、難民化したイラクのキリスト教徒たちの生活が劇的に変わるわけではない。それでも、コロナ禍と暴力が吹き荒れるなかでも、宗教者として何かしなければと動く老齢の二人の姿は、強い印象を世界に残した。
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