コラム

オート三輪トゥクトゥクがつなぐ新旧「アラブの春」

2019年12月14日(土)17時00分

だが、謎なのは、そのトゥクトゥクがいったいどこから来たのか、である。4,5年前ごろから、というイラク人の記憶をもとにすれば、その頃トゥクトゥクが密接に関係するような出来事が起きていた国がある。エジプトだ。

アラブ諸国最大の人口を誇るエジプトでは、2001-2年ごろからトゥクトゥクの導入が始まった。最初は田舎道の、自動車やバスが入らない路地を移動するのに便利だというので、インドから輸入された。だが、イラク同様多くの貧しい無職の若者たちを抱えるエジプトのこと、瞬く間に国中に広がった。2004年に全土で5000台程度だったのが5年後には4万台、10年後には10万台弱ものトゥクトゥクが操業していたと報じられている(一説には50万台とも300万台とも言われる)。運転手の数は、150万人にも上った。地方や都市スラムで格好の移動手段となっただけではなく、デリバリーサービスやちょっとしたお買い物にも便利に使われた。

トゥクトゥクの利用が広がるにつれ、犯罪や事故の増加の原因として問題視もされていった。ひったくり、女性客へのセクハラ、はたまた強盗の逃走手段にも利用された。定員オーバーで危険運転を繰り返したり、渋滞をかいくぐって衝突や接触事故を起こすことが日常茶飯事になった。勢い政府は、取り締まりに乗り出す。そもそもが、トゥクトゥク輸入開始から10年以上その運転には免許が不要とされてきたのだ(8歳の子供が運転していた、などという記録もある)。

エジプトの反政府抗議活動はあえなく鎮圧

2014年、エジプト政府はトゥクトゥクの輸入を禁止し、トゥクトゥク営業を認可制とした。だが職を奪われることに反発した運転手たちが猛反対、3カ月で輸入は再開され、トゥクトゥクの台数はますます増えていった。2018年に再び輸入制限がかかるまで、インドのトゥクトゥク輸出相手先としてエジプトは第2位、輸出量全体の4分の1を占めていたという。

エジプトのシーシ政権がトゥクトゥクを制限しようとしたのには、安全面、治安面の理由以上のものがある。シーシが2013年に打倒した前政権、ムルスィー政権とムスリム同胞団を支えていたのが、トゥクトゥク運転手だったと考えられたからである。実際ムルスィーは、2012年に大統領に就任した際の演説で、国民各層に支持への謝意を示す発言をしたが、各職業の羅列の最後に「トゥクトゥク運転手」を挙げた。

トゥクトゥク運転手がすべて同胞団支持者かどうかは別にしても、貧しい無職の若者層の声を代弁しているのは確かだろう。2016年、ある衛星テレビ番組がトゥクトゥク運転手にインタビューした。聞かれた運転手は正直に答える。「カイロなんてテレビの画面でみりゃウィーンみたいかもしれないけど、中にいりゃあソマリアみたいなもんさ」。この発言は多くの共感を得、政府の横やりでさっさと削除されたにも関わらず50万回再生され、「私はトゥクトゥク卒業生(#I am a Tuk Tuk Graduate)」というハシュタグが広まった。ちょうど経済悪化、生活物資不足が深刻化していた時期である。同年11月に久々に大規模な反政府抗議運動が企画されたが、政府にあえなく鎮圧された。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

お知らせ-重複記事を削除します

ワールド

ウクライナ首相「米との関係維持に全力」、軍事支援一

ワールド

トランプ氏、対ウクライナ軍事支援を一時停止 首脳会

ワールド

中国が対米報復関税、小麦などに最大15% 210億
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Diaries』論争に欠けている「本当の問題」
  • 3
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 4
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 5
    バンス副大統領の『ヒルビリー・エレジー』が禁書に…
  • 6
    米ウクライナ首脳会談「決裂」...米国内の反応 「ト…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    世界最低の韓国の出生率が、過去9年間で初めて「上昇…
  • 9
    生地越しにバストトップがあらわ、股間に銃...マドン…
  • 10
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天才技術者たちの身元を暴露する「Doxxing」が始まった
  • 4
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 5
    富裕層を知り尽くした辞めゴールドマンが「避けたほ…
  • 6
    イーロン・マスクのDOGEからグーグルやアマゾン出身…
  • 7
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 8
    「絶対に太る!」7つの食事習慣、 なぜダイエットに…
  • 9
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 10
    ボブ・ディランは不潔で嫌な奴、シャラメの演技は笑…
  • 1
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 4
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアで…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 9
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 10
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story