コラム

オート三輪トゥクトゥクがつなぐ新旧「アラブの春」

2019年12月14日(土)17時00分

イラクの反政府デモ活動ではトゥクトゥクが大活躍している Thaier Al-Sudani-REUTERS

<イラクの反政府デモで大活躍するオート三輪トゥクトゥクは、エジプトでも「アラブの春」を支えていた>

イラクでの反政府抗議デモは、発生から二カ月半を経て、いまだに沈静化の目途がたっていない。12月1日にはアーディル・アブドゥルマフディ首相が辞意を表明したものの、焼け石に水だ。

それどころか、デモ隊と政府治安部隊の衝突はますます激化している。タハリール広場とその脇のトルコ料理店に座り込みを続けるデモ隊に対して、政府の治安部隊は橋向こうから日々攻撃を続けるが、そこで使用される砲弾には缶ジュース並の大きさのものが使用されることもあり、頭を直撃されて死亡したデモ隊員の頭蓋骨X線写真がSNSで出回っている。催涙弾には毒性のある薬品が使用されているらしく、デモ隊には解毒処理を行うグループが活躍している。

衝突の現場で命を落とすだけでなく、誘拐、暗殺も横行する。デモ開始初期、女性の医療ボランティアが帰途何者かに誘拐され、一週間以上拉致されるという事件が発生した。最近では、イラキーヤ大学文学部の女子大生(フェースブックに猫耳の自撮写真をアップしているような女の子だ)が殺害され、追悼のメッセージが彼女の猫耳写真とともにSNSを駆け回った。有名な左派系詩人、アリー・ラーミーも、自宅を出てタハリールに向かう途中で暗殺された。国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」によれば、12月2日までの間に7人が拉致され、11月29日までに354人が死亡、8104人が負傷したが、現実にはもっと多くの被害が出ているという。

このような状況のなかで、大活躍しているのが、トゥクトゥクと言われるオート三輪車だ。電動三輪車に幌をつけて客を乗せられる簡易車両だが、もとはといえば、日本の人力車が発祥である。東南アジアに広まって人力からエンジンを載せたものへと発展し、リキシャの他、タイでトゥクトゥク、フィリピンでトライシクル、ベトナムでシクロなど、名前を変えてアジア各地に広がっている。

そのトゥクトゥクが、どのようにイラクの抗議運動で活躍しているというのか。まず、毎日発生する負傷者を病院や救護施設に送り届ける。渋滞している道でも政府側に封鎖されている道でも、三輪車ゆえの機動力を活かして、すいすい運ぶ。医療チームを負傷現場に連れていくことも、薬品を緊急に調達、搬送することも、トゥクトゥクの役割だ。即席の救急車である。

医療、薬品だけではない。広場に座り込み立てこもっている若者に、家族が会いに行くのにトゥクトゥクを使う。息子、娘、兄弟姉妹に会って無事を確認し、食糧や着替えの差し入れをして、トゥクトゥクで帰っていく。なんだかほほえましい。

そんな活躍のおかげで、この抗議運動は今やトゥクトゥク革命とも呼ばれるようになった。タハリール広場を拠点に壁アートが広がっているが、そこではトゥクトゥクが救世主、ヒーローのように描かれている。

sakai191214-tuktuk01.jpg

(中東のニュースサイト「albawaba」より)

イラクの抗議運動がトゥクトゥク革命と呼ばれるのには、さらに象徴的な意味がある。他の国でもそうだが、トゥクトゥクの運転手になるのは、それで日銭を稼ぐしかない、貧しい無職の若者だ。公式統計ではイラクで若者の失業率は18%強と言われるが、実際にはもっと多いと言われる。特に大卒、高卒なのに職がない。抗議運動に学生の参加が多い理由の一つでもある。

そうしたなかで、4,5年前からトゥクトゥクがイラクに入ってきた。貧しい若者にとって、運転者としても移動手段としてもこれは天恵だった。移動の足を持ったことで、若者はこれまで以上に簡単に移動できるようになる。仕事にもなる。彼らが人とモノを運ぶネットワークを広げたことが、今回の運動の広がりに繋がった。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正

ワールド

イスラエル政府、ガザ停戦合意を正式承認 19日発効

ビジネス

米国株式市場=反発、トランプ氏就任控え 半導体株が

ワールド

ロシア・イラン大統領、戦略条約締結 20年協定で防
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 3
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 4
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 5
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 6
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 7
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 8
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 9
    注目を集めた「ロサンゼルス山火事」映像...空に広が…
  • 10
    「ウクライナに残りたい...」捕虜となった北朝鮮兵が…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 5
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story