極北の映画『J005311』は絶対にスクリーンで見るべきだ
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<万人受けする映画ではないが刺さる人には刺さる。それもかなり深々と>
タル・ベーラ監督の『ニーチェの馬』を観たのは11年前。劇場でスクリーンを見つめながら、自分は今すごいものを目撃している、と思ったことを覚えている。
すごい「映画」ではない。すごい「もの」だ。明らかに映画を逸脱している。
もちろんこれは、僕が「映画」を矮小にカテゴライズしすぎているとの見方もできる。その可能性は否定しない。でも映画というジャンルを面で考えたとき、『ニーチェの馬』がその境界ぎりぎりに位置していることは間違いない。言葉にすれば極北の映画だ。絶対にノートPCのディスプレイやテレビモニターのサイズで観るべき映画じゃない。だってサイズが変われば意味も変わる。
せりふはほとんどない。ストーリーを書けと言われたら困る。年老いた男と娘の日常がただ続くだけ。ここまでを読んで、新藤兼人の『裸の島』を想起する人がいるかもしれないけれど(これはこれで、いつかこのページで書きたい映画だ)、たぶん方位が違うのだ。
河野宏紀の初めての長編劇映画『J005311』を観ながら、『ニーチェの馬』を思い出した。やはり極北の映画なのだ。
もちろん、全編モノクロームでストーリーを拒絶している(というか徹底して興味を示さない)『ニーチェの馬』と、プロットを3行で書ける『J005311』は全く違う作品だ。でも(あくまでも僕が感じた)質感は近い。やはり方位という言葉を使いたくなるけれど、おそらくは映画そのものというよりも、映画に対する監督の姿勢なのだと思う。
『J005311』に登場する俳優は2人だけ。ネットなどで調べれば、「第44回ぴあフィルムフェスティバルで満場一致でグランプリを受賞した」とか「東京国際映画祭でも上映されて大きな話題を呼んだ」などの記述が見つかるが、それはどうでもよい。断言するが、万人受けする作品ではない。客を選ぶ。でも刺さる人には刺さる。僕には刺さった。かなり深々と。
2019年にドイツのボン大学の研究チームが発見した「J005311」は、2つの白色矮星が衝突することで誕生した星と考えられている。白色矮星とは恒星の残骸。つまり終わりかけた2つの星が融合することで、新たな星となった。
映画を観終えたあとなら、そういうことかと思うけれど、観る前にこのタイトルは何の意味もない。というか、もっと直截に書けば、内容をこんな言葉でまとめちゃダメだ。