コラム

失踪した夫を待つ2人の女 映画『千夜、一夜』に見る理不尽と不条理

2022年10月06日(木)15時00分
『千夜、一夜』

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<水産加工場で働きながら30年も夫の帰りを待つ登美子と、2年前にふらっと出て行った夫を待つ奈美。同じ島に暮らす2人の選んだ別々の道>

人生には多くの別離がある。失踪はその1つ。死別との違いは、いつか戻るかもしれないと思いながら、残された側が日々を送ること。

『千夜、一夜』の舞台は佐渡島。そしてメインの登場人物は、失踪して帰ってこない夫を待ち続ける2人の女。この設定なら誰もが、北朝鮮による拉致問題がテーマなのかと思うはずだ。実際に、漂流して救出された北朝鮮の漁民も、中盤にエピソードとして登場する。

しかしこの問題に対して、映画はこれ以上の興味を示さない。思わせぶりな設定にしながらも、極めて抑制的だ。

日本全国では、1年間に8万人の行方不明者届が警察に出されているという。これだけの数の(理不尽な)別離があり、これだけの数の事情がある。

2人の女は夫の帰りを待ち続ける。待ち続けながら齢(よわい)を重ねる。でも2人は前に進めない。進む方向が分からない。

田中裕子演じる若松登美子は、もう30年も、水産加工場の仕事をしながら夫である諭(さとし)の帰りを待ち続けている。この間に漁師の藤倉春男(ダンカン)は、ずっと登美子への想いを寄せ続けるが、登美子はかたくななまでに春男を拒絶し続ける。尾野真千子演じる田村奈美は、ふと散歩のように家を出てから帰ってこない夫の洋司を、待ち続けて2年が過ぎた。

同じ島に暮らす2人は出会い、いくつかの接点を重ねるが、やがて違いが浮き彫りになる。病院に勤める奈美は新しい男性との暮らしを決意する。でも登美子は、待ち続ける自分の人生にピリオドを打とうとはしない。春男の一途(いちず)な思いに応えない。

終盤、物語は大きく動く。しかし登美子は待ち続ける日常を変えようとはしない。「(私は)若松さんのように強くなれない」と言う奈美に、「強くないわよ」と登美子は答える。多くは語らない。というか、多くを語りたくても語れないのだと思う。

強さや弱さではない。信念や決意とも違う。人は、1つを選ぶと1つが落ちてくる自動販売機とは違う。スイッチ一つで電源のオンオフが操作できるスマホや扇風機とも違う。そのように分かりやすい原理では動かない。もっと理不尽で不条理だ。

なぜ違うレールに乗り換えることができないのか。もしもそう質問されたとしても、登美子は答えることができないはずだ。新しい男性との生活を決意した奈美だって、自分の心変わりを言葉で説明することはできない。失踪した2人の男も(ネタバレになるので詳細は書けないが)、家を出た理由について尋ねられたなら、無言でしばらく沈黙するはずだ。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

アングル:息潜める米社債市場、発行が事実上停止 ト

ワールド

米政府、移民やビザ申請者のSNS投稿検閲 「反ユダ

ビジネス

中国CPI、3月0.1%下落 PPIマイナス続く 

ワールド

減税前提なら現金還付に一定の理解、つなぎ措置として
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ関税大戦争
特集:トランプ関税大戦争
2025年4月15日号(4/ 8発売)

同盟国も敵対国もお構いなし。トランプ版「ガイアツ」は世界恐慌を招くのか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    公園でひとり歩いていた老犬...毛に残された「ピンク色」に心打たれる人続出
  • 2
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最強” になる「超短い一言」
  • 3
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた考古学者が「証拠」とみなす「見事な遺物」とは?
  • 4
    【クイズ】ペットとして、日本で1番人気の「犬種」は…
  • 5
    投資の神様ウォーレン・バフェットが世界株安に勝っ…
  • 6
    まもなく日本を襲う「身寄りのない高齢者」の爆発的…
  • 7
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 8
    毛が「紫色」に染まった子犬...救出後に明かされたあ…
  • 9
    「やっぱり忘れてなかった」6カ月ぶりの再会に、犬が…
  • 10
    ロシア黒海艦隊をドローン襲撃...防空ミサイルを回避…
  • 1
    ひとりで海にいた犬...首輪に書かれた「ひと言」に世界が感動
  • 2
    公園でひとり歩いていた老犬...毛に残された「ピンク色」に心打たれる人続出
  • 3
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    ロシア黒海艦隊をドローン襲撃...防空ミサイルを回避…
  • 8
    「吐きそうになった...」高速列車で前席のカップルが…
  • 9
    紅茶をこよなく愛するイギリス人の僕がティーバッグ…
  • 10
    【クイズ】日本の輸出品で2番目に多いものは何?
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    ひとりで海にいた犬...首輪に書かれた「ひと言」に世界が感動
  • 3
    公園でひとり歩いていた老犬...毛に残された「ピンク色」に心打たれる人続出
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の…
  • 6
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 10
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story