コラム

日常を「体験」する映画『わたし達はおとな』に釘付けになる理由

2022年05月12日(木)16時20分
『わたし達はおとな』

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<決して大きな話ではない。それでも目を離せないのは、俳優たちの演技がリアルすぎるから。演劇出身の監督・加藤拓也は現場でどう演出したのか。どんな脚本だったのか>

しばらく旧作が続いたけれど、今回は新作『わたし達はおとな』だ。

大学でデザインの勉強をしている優実は、演劇サークルのチラシを作ったことがきっかけとなって、プロの演出家を目指している直哉と交際を始める。

やがて優実は妊娠していることに気付くが、子供の父親が直哉であるという確信を持てない。その苦悩を打ち明けられた直哉は、一旦は生まれてくる子供の父親になる決意をするが、その気持ちは時間の推移とともに揺れ動く。

それぞれ元カノへの思慕や元カレの未練、嫉妬なども重なり、2人の関係は少しずつぎくしゃくし始める。

優実役は、映画『菊とギロチン』で女相撲の力士を演じた木竜麻生。直哉役は藤原季節。全編の半分近くは2人のやりとりだ(尺ではなく感覚としてだが)。

まずはタイトルが良くない。もう少し何とかならなかったのか。タイトルから想起すれば、テーマは若者の成長ということになるが、その試みが成功しているとは言い難い。2人は目に見えるような変化はしない。でも逆に言えば、数カ月のスパンを切り取った映画なのだから、目に見えるような変化は嘘くさいと感じるかもしれない。

決して大きな物語ではない。どこにでもある話。でも目を離せない。リアルすぎるのだ。主演の木竜と藤原だけではなく、2人の学友などを演じる他の俳優たちの演技も圧巻だ。タイトルなどどうでも良くなる。

例えば喫茶店で数人が飲み物をオーダーするとき、「すいません」と店員を呼ぶ声が重なる。当たり前だとあなたは思うかもしれない。でも一般的な演劇的空間ではこの状況で、せりふをかぶらせることはあまりしない。誰か一人に言わせるはずだ。

あるいはしゃべりながら照れ笑い。吐息。一瞬の間。同じ言葉の繰り返し。俳優の言葉や所作はとてもリアルだ。でもリアルを示すための演技ではない。はなからリアルなのだ。

監督の加藤拓也は演劇出身。本作は自身のオリジナル脚本による初の長編映画らしい。現場でどのように演出したのだろう。あるいはどんな脚本だったのだろう。

書くまでもない補足だが、舞台と映画とでは芝居の質が違う。似て非なるものの典型だ。舞台の名優が映画でも名優とは限らない。逆もまたしかり。つまり本作の演出について、監督である加藤が舞台出身だからできたと考えるのは間違いだろう。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米石油・ガス掘削リグ稼働数、3週連続減少=ベーカー

ワールド

焦点:中国農村住民の過酷な老後、わずかな年金で死ぬ

ワールド

アングル:殺人や恐喝は時代遅れ、知能犯罪に転向する

ワールド

ロシアとの戦争、2カ月以内に重大局面 ウクライナ司
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 3

    「終わりよければ全てよし」...日本の「締めくくりの文化」をジョージア人と分かち合った日

  • 4

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 5

    ウクライナの水上攻撃ドローン「マグラV5」がロシア…

  • 6

    横から見れば裸...英歌手のメットガラ衣装に「カーテ…

  • 7

    「未来の女王」ベルギー・エリザベート王女がハーバー…

  • 8

    「私は妊娠した」ヤリたいだけの男もたくさんいる「…

  • 9

    ブラッドレー歩兵戦闘車、ロシアT80戦車を撃ち抜く「…

  • 10

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 3

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 4

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 5

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 6

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 7

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 8

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 9

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 10

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story