
シアトル発 マインドフルネス・ライフ
孤立するアメリカの若い男性たち〜台頭するインセルとは?
インセル男性とメンタルヘルスの関係
インセル男性は、非インセルの独身男性と比較して、精神状態が著しく悪いことが明らかになっている。特に、重度のうつ病、不安、孤独感を抱える割合が高い。さらに注目すべき点として、インセル・コミュニティ内では自閉症スペクトラム障害(ASD)の割合が非常に高いことが報告されている。
一般的な自閉症スペクトラム障害の有病率は0.62%とされているが、スペックヘッドとエレンズバーグによる2022年の調査では、インセルを自認する回答者272名の18.38%が自閉症スペクトラム障害の診断を受けており、さらに24.6%が「自閉症スペクトラム障害の症状がある」と回答している。
自閉症の人々は、他者の感情や欲求を推測する能力(心の理論)が低い傾向があり、これがインセルの恋愛に対する誤った認識につながっている可能性がある。上記の論文「インセル(不本意な独身者)の恋愛心理:不幸、誤解、不正確な表現」の共同研究者であるテキサス大学オースティン校のウィリアム・コステロ博士は、「女性の恋愛観に関するインセル男性の認識のズレは、彼らの自閉症的傾向と深く関係している可能性がある」と指摘している。

インセル男性に共通する特徴としては、共感性やソーシャルスキルの欠如、家族や友人との精神的な絆の薄さ、孤独感・不安・うつ症状、外見への極端なこだわりが挙げられる。さらに、「女性と付き合うのは男として当然」という特権意識、物事を極端に二分して考える二極思考、「自分の不幸は社会や女性のせい」とする被害者意識が特徴的だ。これらの心理的傾向が、女性への敵意や社会全体に対する反感へとつながるケースも少なくない。
興味深い点として、一部の研究では「PUA(ナンパ師)フォーラム」からインセル・フォーラムへの「パイプライン」が存在することが示唆されている。つまり、ナンパ術を学ぼうとした若い男性が、恋愛市場での失敗を経験した結果、最終的にインセルの思想に傾倒するという流れだ。特に自閉症スペクトラム傾向の強い男性は、恋愛のダイナミクスを理解するのが難しく、ナンパの失敗が自己評価の低下や女性蔑視の強化につながる可能性がある。
恋愛への希望を捨てない男性たち
しかし一方で、コステロ博士らによる2022年の調査結果によると、インセル男性の約半数が「積極的に交際相手を探している」と答えている。これはつまり、多くのインセル男性が恋愛や結婚への希望を捨てておらず、恋愛市場に参加する意欲を持っていることを示している。調査によれば、インセルの男性たちが独り身でいる理由として、「恋愛スキルの欠如」や「自信のなさ」を挙げ、「パートナーに求める条件が不釣り合いに高い」とは思っていないことが明らかになった。
進化心理学の研究では、男性の「配偶者価値」、つまり「モテる要素」は、「地位」や「収入」などの努力次第で変えられる要素が重視される。その一方で、女性のそれは「外見」や「若さ」といった自分の努力では変えられない要素に影響されることが示された。24か国におよぶ180万人のオンラインデート参加者の行動データを調べた調査結果によると、「学歴」や「収入」によって、女性による男性への注目度が、男性による女性への注目度よりも2.5倍上がることが明らかになった。実際には、女性よりも男性の方が「努力次第でモテる」余地が大きいのだ。
インセル男性の中には、「非就学・非雇用・非訓練」というニート状態にとどまっている人も多い。そして、恋愛市場で受け入れられずに、「優しいだけでは愛されない」、「自分を無視する女性は軽薄でバカな存在」といった極端な思い込みを強めていくのかもしれない。自分の信念に合致する情報のみを集める「確証バイアス」は誰にでもあるが、否定的な感情はさらにそのバイアスを強化してしまう。そして、女性が配偶者価値として重視する「優しさ」や「感情的安定性」などを過小評価して、自分にできる努力を諦めてしまうのかもしれない。
インセル男性は、幸福度および自尊心が極めて低いことが判明している。男性は、女性が自分に魅力を感じていないと思う時に、女性を強く嫌悪する傾向がある。つまり、女性に対する認知の歪みや蔑視的な態度は、自尊心が低いほど強く表れることを示している。そして、恋愛的・社会的孤立感が強くなると、自分を取り巻く社会全体を敵視し、攻撃に転じてしまう危険がある。
このような認知の歪みは、恋愛や対人関係で失敗した経験がきっかけで生まれることも多く、傷つきやすい性格であればあるほど、それを放置すれば不安やうつといった精神疾患や対人攻撃性につながるリスクが高くなるだろう。
回復への道:孤独と怒りを超えて
以下、回復と成長のための具体的な6つのステップを紹介する。
1. 認知の書き換え:怒りの矛先を「他人」から「自分の未来」へ
劣等感や孤独からくる怒りは、誰もが経験する。問題は、それを他者に向けてしまうことだ。重要なのは、自分の意識の向け先を「他人の評価」から「自分自身の人生」へとシフトすること。「自分がなぜ苦しいのか?」「何を怖れているのか?」を自己対話により掘り下げ、自分の内面と向き合う作業を始める。マズローの欲求階層でいう「欠乏欲求(愛・承認・安全)」にとらわれると、常に「今の自分は足りない」という感覚に縛られる。これを、すでに価値ある自分が、やりたいことを楽しんで追求していくという「自己実現欲求」に転換していく。
(例)ネガティブな自己イメージを書き出し、それを「自己成長視点」に書き換える。「こうなれたら幸せ」ではなく、「今すでに持っている強み」に焦点を当てる。
2. マインドフルネス瞑想:怒りや焦りに飲み込まれない訓練
「この世界は不公平だ」と感じる瞬間があってもいい。しかし、それに支配されてしまっては、自分の人生を前に進めることができない。マインドフルネス瞑想は、今この瞬間に意識を向け、思考と感情に距離を置く訓練だ。「自分=怒りや悲しみ」ではなく、「感情は自分の中を流れるひとつの現象」として見つめることで、冷静さと自己調整力を養う。
(例)毎日5分、呼吸に意識を向ける瞑想を行う。思考に注意が逸らされたら、「今、考えていた」と気づくだけでOK。研究でも、マインドフルネスは感情の衝動性を抑える効果や、自己肯定感の向上に寄与することが示されている。
3. 運動・身体性の回復:自分の体を通じて心を整える
怒りや不安といった感情は、脳だけでなく体にも影響する。逆に言えば、体から心を整えることも可能だ。筋トレや有酸素運動は、エンドルフィンやドーパミンの分泌を促し、自己効力感を高める。特に、武道や格闘技のように礼儀や自己制御を学ぶ運動は、攻撃性を「建設的なエネルギー」に転換する力を育ててくれる。
(例)週2~3回の運動習慣。ひとりでできるものでもOK(散歩、筋トレ、ヨガなど)。
4. つながりの再構築:友人や趣味のグループを持つ
人は本質的に「つながり」を必要としている。孤独は、自尊感情とストレス耐性を著しく低下させ、攻撃性の増大にもつながるといわれている。はじめから深い友人関係を築こうとしなくて大丈夫。共通の興味や趣味を通じたつながりから始めるといいだろう。
(例)オンラインでも良いので、趣味・読書・運動などのグループに参加。ボランティア活動も、人との自然な交流が得られる有効な手段。
5. 就労または勉強:「できること」が「自信」になる
インセル的な感情に囚われているとき、仕事や学びに対しても「意味がない」と感じてしまうかもしれない。しかし、たとえ小さなことでも、「努力すれば結果が出る」という体験を積むことで、自己効力感が育まれる。
(例)就労支援、職業訓練、学習サポートなどの社会資源を活用する。「自分にも社会に貢献できる場所がある」と実感する。
6. デジタルデトックス:SNSや過激な言論から距離をとる
インセルコミュニティはしばしばSNSや掲示板で過激な言論を強化し合う。アルゴリズムは怒りを拡散しやすく、人は気づかないうちに思考が極端に偏っていく。定期的に「ネット断ち」や情報の見直しをすることが必要だ。
(例)寝る1時間前はスマホを見ない。ネガティブな影響を与えるアカウントはミュートやブロック。古典や名作、哲学書などを読み、視点・視座・視野を広げる。
インセル思想の台頭には、恋愛市場の競争激化、経済格差、男性や女性像に対する固定観念など、現代社会が抱える価値観の歪みが背景にある。激しい競争に勝てずに劣等感を感じる個人は、孤立化し、出口のない怒りを募らせていく。そして、それが集団化し、社会に広がれば、やがて社会全体の争いや不安定さを生み出してしまうだろう。インセル男性の苦悩は、個人の心の問題でありながら、社会全体の問題でもある。そこにどう向き合うかは、私たち全体の課題だろう。
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9780135/?utm_source=chatgpt.com
https://www.mdpi.com/2075-4698/15/2/44?utm_source=chatgpt.com

- 長野弘子
米ワシントン州認定メンタルヘルスカウンセラー。NYと東京をベースに、15年間ジャーナリストとして多数の雑誌に記事を寄稿。2011年の東日本大震災をきっかけにシアトルに移住。自然災害や事故などでトラウマを抱える人々をサポートするためノースウェスト大学院で臨床心理学を専攻。米大手セラピー・エージェンシーで5年間働いた後に独立。現在ワシントン州の大手IT企業本社の常駐セラピストを務める。
ウェブサイト:http://www.lifefulcounseling.com
連載記事:https://soysource.net/category/colmun/children_teen_kokoro/