
シアトル発 マインドフルネス・ライフ
孤立するアメリカの若い男性たち〜台頭するインセルとは?

アメリカのデート事情と男性の孤独感
アメリカの若者と日々接していると、ここ十年ほどで恋愛やデート事情が劇的に変わったと実感する。マッチングアプリやSNSの普及により、かつてないほど多くの恋人候補とつながる機会が生まれた一方で、孤独感が深まるという皮肉な現象も生じているのだ。
データが示す傾向も興味深い。たとえば、人気のマッチングアプリ「Tinder」や「Hinge」におけるマッチングの偏りは顕著で、上位20%の魅力的な男性に「いいね」が集中し、残り80%の男性はほぼマッチしないと言われている。男性にとって、恋愛やデートの機会が減少しており、ピュー・リサーチ・センターの最近の調査結果によると、米国の30歳未満の男性の63%が独身であり、2019年の51%から大幅に増加している。同じ年齢層の女性の独身率が34%なので、若い男性は若い女性よりも独身である可能性がはるかに高い。
「インセル」現象と過激思想の拡散
こうした恋愛市場の格差拡大と連動するように、一部の男性の間で過激な女性嫌悪が広がっている。マッチングアプリの普及によって恋愛市場における競争が激化し、いわゆる負け組になる男性が女性に対する敵意を強める動きがあるのだ。
こうした男性たちは、自らを「インセル(Incel)」と称する。「インセル」とは、「インボランタリー・セリベート(involuntary celibate)」の略であり、直訳すると「不本意な禁欲者・独身者」の意。恋愛や性的関係を望んでいるにもかかわらず、異性と結ばれる機会を得られない状況にある者を指す。日本語における「非モテ」と似たニュアンスを持つが、インセルはより強いコンプレックスを抱え、女性に対して極端な敵意をむき出しにするケースが多い。
「インセルウィキ (Incel Wiki)」によれば、現在、アメリカのミレニアル世代の15~30%がインセルに該当し、その規模は4万人から数十万人に及ぶと推定されている。ミレニアル世代の約51%が安定したパートナーを持たず、30%が慢性的な孤独感を抱え、22%が友人を持たないという。

インセル関連のコミュニティはほぼ完全にオンライン上で活動し、女性蔑視的な思想や社会に対する不満を放出する場として機能している。そこでは、「男女平等の社会は間違っており、女性の権利は制限されるべき」、「女性は、外見や経済力で男性を判断する浅はかで下等な存在だ」などの極端な主張が見受けられる。過激なフォーラムでは、女性蔑視、ヘイトスピーチ、さらには暴力やレイプ、女性の殺戮を扇動するような投稿も散見される。
現在、インセル関連のフォーラムとしては「Incels.is」、「ForeverAlone」などが存在し、外見改善を目的とした「Looksmax」などの派生コミュニティも形成されている。
独特のインセル用語の広がり
インセルコミュニティには独自の用語が存在し、彼らの世界観や価値観を如実に表している。以下、代表的な用語を紹介する。
・チャド(Chad/Chads):恋愛や性的関係において、非常に成功している魅力的な男性。
・ステイシー(Stacy/Stacys):チャドと関係を持つ非常に魅力的な女性。チャドと合わせて、インセル男性だけではなく一般的にも浸透している用語。
・ベッキー(Becky):通常の魅力を持つ女性。
・ノーミー(Normies):普通の人々
・フォイド(Foid)・フェモイド(Femoid):女性に対する蔑称。
・ルックスマクシング(Looksmaxxing):整形、筋トレ、ファッションなど外見を最大限に改善する努力。
・シーマクシング(SEAmaxxing):恋愛相手を求めて東南アジアに渡ること。物価や身長の差を利用し、恋愛市場で優位に立とうとする考え。
・ボーンズマッシング(Bonesmashing):魅力的とされる大きな顎を作るために、自分の顎を傷つけること。
・レイダウンアンドロット(Lay down and rot):恋愛や性的関係を持てない絶望感から、自暴自棄に陥ること。
・ブラックピリング(Blackpilling):自分がインセルだと気づき、完全に絶望し諦めること。映画『マトリックス』の「レッドピル(真実を知る)」から派生。
・ERに行く(To go ER):エリオット・ロジャーのように、銃乱射や暴力事件を起こすこと。
・リストセル(Wristcels):手首が細いから自分はモテない、インセルだと思っている人。
・フェムセル(Femcel):恋愛相手に恵まれない女性版インセル。
・マノスフィア(Manosphere):男性中心主義的な価値観を共有するオンラインコミュニティの総称。
・ミグタウ(MGTOW):「Men Going Their Own Way(我が道を行く男たち)」の略で、女性との関わりを断ち、社会と距離を置く男性のコミュニティ「r/MGTOWS」(https://www.reddit.com/r/MGTOWS/)。女性を攻撃するより、女性から距離を置こうとする。
・ピックアップアーティスト(PUA):恋愛や性的関係を成功させるための技術を磨く男性。ナンパ師。テクニックを学べば誰でも女性と関係を持てるという思想に基づく。希望の象徴でもあり、詐欺の象徴でもある。
・エルエムエス(LMS):外見・金・社会的地位。インセル男性が考える、女性が男性を選ぶ基準。
・ショートキングスプリング(Short King Spring):低身長の男性が自信を持ち、恋愛や社会的地位を高めようとする動き。インセル界隈では皮肉的に使われる。
これらの言葉は、単なるスラングの域を超え、彼らの価値観やライフスタイルを象徴している。たとえば、多くのインセル男性が、PUA(ピックアップアーティスト・ナンパ師)のセミナーや教材を購入して技術を学び、整形や筋トレなどのルックスマクシングで自分を変えようと必死に努力をしている。
しかし、数々の努力が無駄に終わり、「モテない男性は、どんなテクニックを学んでも無駄」と諦めるインセル男性も多い。そして、恋愛の成功は「LMS(外見・金・社会的地位)」に依存し、PUAの技術は役に立たないという結論にいたるのだ。何人もの女性から「あと数インチ背が高かったら付き合ったのに」と言われたり、見た目が良いという理由だけで、自分より性格も職業もパッとしない友人が多くの女性から誘われたりと、恋愛の現場はきわめて無慈悲だ。こうした経験を繰り返して希望が打ち砕かれ、ブラックピルを飲む男性が増えるのも十分に理解できる。

1980年代後半に遡る映画など、PUAはポップカルチャーの題材としてよく知られている。しかし、その技巧に関する興味深い言及の中には、数百年前にまで遡るものもある。
確かに、自分よりも高い地位や収入の異性と結婚する「上昇婚:ハイパーガミー(hypergamy)」を求める傾向は、男性より女性の方が多い。日本語でも「玉の輿にのる」と言われるように、シンデレラストーリーの典型だ。「自分よりも収入が低い人とは付き合いたくない」と、若い女性から話を聞くたびに、若い男性の感じる絶望には裏付けがあると感じてしまう。現代の恋愛市場における格差、それに対する反発がオンライン空間で形を変えながら増幅し続けるのには、それなりの理由があるのだ。
しかし最近の傾向として、「身長190cm以上でムキムキの体を持たない男性は、まったく女性に相手にされない」など、極端なデート神話が真実であるかのように信じられている。インセル男性の多くは背の高さに執着しており、自分達がモテないのは身長のせい、そしてそれは女性のせいだと女性への攻撃が先鋭化する傾向にある。
(次ページ:増加するインセル系犯罪:憎悪が暴力へと変わる瞬間)

- 長野弘子
米ワシントン州認定メンタルヘルスカウンセラー。NYと東京をベースに、15年間ジャーナリストとして多数の雑誌に記事を寄稿。2011年の東日本大震災をきっかけにシアトルに移住。自然災害や事故などでトラウマを抱える人々をサポートするためノースウェスト大学院で臨床心理学を専攻。米大手セラピー・エージェンシーで5年間働いた後に独立。現在ワシントン州の大手IT企業本社の常駐セラピストを務める。
ウェブサイト:http://www.lifefulcounseling.com
連載記事:https://soysource.net/category/colmun/children_teen_kokoro/