
シアトル発 マインドフルネス・ライフ
孤立するアメリカの若い男性たち〜台頭するインセルとは?
増加するインセル系犯罪:憎悪が暴力へと変わる瞬間
劣等感と社会的拒絶感に苛まれたインセル男性が、憤りを募らせ、ついには暴力や大量殺人にまでエスカレートする事件が深刻な問題となっている。その象徴的存在として、インセル・コミュニティ内で"英雄"視される大量殺人犯、エリオット・ロジャーが挙げられる。
22歳のロジャーは裕福で恵まれた家庭に育ちながらも女性に相手にされないことに強い怒りを抱き、2014年5月、カリフォルニア大学サンタバーバラ校近郊で無差別殺人を実行。6人を殺害、14人を負傷させた後、自ら命を絶った。 犯行前に遺した137ページの声明文やYouTubeの動画では、「なぜ彼女たちは僕に惹かれないのか。だが、僕は君たちを罰する」と、女性への激しい憎悪と復讐心を露わにしていた。彼の事件はインセル・コミュニティに強い影響を与え、ネット上では彼を称賛する言葉が相次いだ。

その影響は後続の事件にも及ぶ。2018年4月、カナダ・トロントで25歳の白人男性アレック・ミナシアンが車で通行人を次々とはね、10人を殺害、16人に重軽傷を負わせた。 事件直前、彼はFacebookに「インセルの反乱は始まった!我々はチャドやステイシーを倒す。エリオット・ロジャー万歳!」と投稿。インセル思想が、暴力を正当化する大義名分になっていることが浮き彫りとなった。また、ロジャーが自らを称える際に使っていた言葉「至高の紳士」は、後にインセル・コミュニティでよく使われるようになった。
彼らの多くは、「4chan」や「PUAhate」(ロジャーの投稿が発見され、世間の非難を受けて2014年に閉鎖)、「/r/MGTOW」といったオンラインフォーラムを訪れていたことが確認されている。女性への憎悪を募らせるコミュニティが連鎖的に影響を及ぼし、実際の犯罪へと発展するリスクは否定できない。事件の影響を受け、過激なフォーラムの多くが閉鎖されたが、その後も北米では同様の無差別テロが相次いでいる。
日本でも、2021年8月に東京・小田急線で無差別刺傷事件を起こした対馬悠介(36歳)は、供述で「幸せそうなカップルや勝ち組の女性を見ると殺したくなった」と述べ、北米のインセル事件と類似した動機を明らかにした。ネット上で拡散されるインセルの思想は、単なる不満や孤独感の共有にとどまらず、時に社会的暴力へと転化する危険性を孕んでいる。
インセル男性が関与したとされる事件一覧
インセル思想に関連するとされる事件のリストを以下にまとめてみた。これらの事件は、犯人が女性蔑視のオンライン活動歴を持っていた、つまりインセル関連コミュニティに関与していた、もしくはインセル的な思想を持っていたことが確認されているものだ。なお、未遂や負傷者のみの事件は割愛している。(参考:Police1、Incel from Wikipedia)
1. イスラビスタ銃乱射事件(2014年5月23日)
加害者:エリオット・ロジャー(22歳)
場所:米カリフォルニア州サンタバーバラ
被害:6人死亡、14人負傷
概要:カリフォルニア大学サンタバーバラ校近くのイスラビスタ地区で銃撃と刺殺を行い、自殺。事件前にYouTube動画と137ページの声明文「私の歪んだ世界」を残し、「いつかインセルたちは真の力と数に気づき、この抑圧的なフェミニスト体制を打倒するだろう。女性があなたを恐れる世界を思い描いてほしい」と綴った。同声明を発表した後、6人を殺害、14人を負傷させた。
2. アンプクア・コミュニティカレッジ銃乱射事件(2015年10月1日)
加害者:クリストファー・ハーパー・マーサー(26歳)
場所:米オレゴン州アンプクア・コミュニティ・カレッジ
被害:9人死亡、8人負傷
概要:大学の教室で無差別銃撃を行い、警察との銃撃戦の末に自殺。彼の宣言文やその他の著作には、恋人がいないこと、ロジャーへの崇拝、人種差別的な暴言などが記されていた。バージニア州での銃乱射事件後、彼は「殺せば殺すほど注目を浴びる」という内容の書き込みをネットに投稿。他の銃乱射犯と同様、インセル・フォーラムに名声と影響力を求める書き込みをしていた。
3. エドモントン襲撃事件(2016年7月31日)
加害者:シェルドン・ベントレー(38歳)
場所:カナダ・アルバータ州エドモントン
被害:1人死亡
概要:エドモントンの路地で意識不明の男性を強盗し、殺害した。公判でベントレーは、警備員としての仕事のストレスと4年間のインセル生活への不満から、男性の腹部を踏みつけて殺害したと述べた。
4. アズテック高校銃乱射事件(2017年12月)
加害者:ウィリアム・アッチソン(21歳)
場所:米ニューメキシコ州アズテック高校
被害:2人死亡
概要:高校で2人の生徒を射殺した後、自殺。アッチソンは銃乱射事件に執着し、オルタナティブ右翼のフォーラムで活動。複数のオンラインフォーラムで「エリオット・ロジャー」という偽名を使用し、「至高の紳士」として称賛していた。
5. パークランド銃乱射事件(2018年2月14日)
加害者:ニコラス・クルーズ(19歳)
場所:米フロリダ州パークランド
被害:17人死亡、17人を負傷
概要:マージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で17人を射殺、17人を負傷させた。オンラインで人種差別、反ユダヤ主義、同性愛嫌悪の言動を露呈し、「エリオット・ロジャーを決して忘れない」と主張。事件前に女性蔑視的な発言を繰り返し、インセル関連フォーラムにも出入りしていた。
6. トロント・バン襲撃事件(2018年4月23日)
加害者:アレック・ミナシアン(25歳)
場所:カナダ・オンタリオ州トロント
被害:10人死亡、16人負傷
概要:インセルの思想を理由に、バンで歩行者を次々とはねる無差別殺人を実行。彼は警察官に頭部を撃つよう要請したが、拒否され、最終的に警察官に出頭した。襲撃前にFacebookに「二等兵(新兵)[A.M.] 歩兵00010、4chan軍曹と話したい。C23249161。インセルの反乱は既に始まっている!チャドとステイシーを全員ぶっ倒す!至高の紳士万歳」と投稿。2019年9月には、襲撃直後、ミナシアンは警察に対し、自分が童貞であり、「チャドやステイシー、不快な野蛮人に愛情を注ぐ女性たちへの憤り」が動機であると語っている。
7. トロント銃乱射事件(2018年7月22日)
加害者:ファイサル・フセイン(29歳)
場所:カナダ・オンタリオ州トロント
被害:2人死亡、13人負傷
概要:40口径拳銃を使用し、2人を殺害、13人を負傷させた。フセインはトロント警察との銃撃戦の後、自殺。フセインはパキスタン系の両親のもとに生まれ、生涯を通じて精神疾患を患い、長年にわたり暴力に執着していた。インセル思想に傾倒しており、彼の携帯電話と電子機器からエリオット・ロジャーのマニフェストのコピーが発見された。
8. ヨガスタジオ銃乱射事件(2018年11月2日)
加害者:スコット・バイアリー(40歳)
場所:米フロリダ州タラハシー
被害:2人死亡、5人負傷
概要:ホットヨガスタジオで女性2人を射殺、女性4人と男性1人を負傷させた後、自殺。2つの大学院の学位を持つベテラン教師で、女性への嫌がらせの前科があり、女性蔑視の動画を投稿したり、黒人差別的な感情を表明したり、エリオット・ロジャーと自分を同一視していた。銃撃事件の数ヶ月前、SoundCloudに女性蔑視、人種差別、暴力、同性愛嫌悪を煽る楽曲を多数投稿、PUAhateやインセル関連フォーラムを訪れていたことも判明。
9. トロント・マチェーテ襲撃事件(2020年2月24日)
加害者:ウィリアム・アトキンソン(17歳)
場所:カナダ・オンタリオ州トロント
被害:1人死亡、1人負傷
概要:エロティックマッサージ店で、女性スパ従業員を刺殺、同僚の女性も重傷を負わせた。5月19日、トロント警察は、刺傷事件がインセル思想によるものを示す証拠が得られたことから、この攻撃をテロ事件として扱うと宣言。インセル思想による暴力行為がテロ行為として起訴された初の事例であり、イスラム過激派ではない暴力行為がテロ行為として起訴されたカナダ初の事例。
10. プリマス銃乱射事件(2021年8月12日)
加害者:ジェイク・ダヴィソン(22歳)
場所:英国プリマス
被害:5人死亡、2人負傷
概要:自身の母親を含む5人を銃撃後、自殺。母親とは以前は仲が良かったが、事件の数ヶ月前から、性差別的な見解や女性への非難をめぐって口論をしていた。事件前にYouTubeでインセル的発言をしており、「女性が自分を拒絶するせいで人生が台無しになった」と語っていた。事件当日も母親と口論になり、自宅の寝室から出ようとした際に、彼女の喉をつかんで立ち去らせようとした。
11. 小田急線刺傷事件(2021年8月6日)
加害者:対馬悠介(36歳)
場所:日本・東京都
被害:10人負傷(うち1人重傷)
概要:東京都世田谷区の小田急線車内で、乗客10人を無差別に刺傷。犯行動機として「勝ち組の女性やカップルを見ると殺したくなった」と供述し、インセル的思想との類似性が指摘された。
12. デンバーおよびレイクウッド銃乱射事件(2021年12月27日)
加害者:リンドン・マクロード(47歳)
場所:米デンバー州とコロラド州レイクウッド
被害:5人死亡、2人負傷
概要:デンバーの繁華街で2人の女性を射殺、1人負傷させ、夕方に男性を1人射殺して逃走。レイクウッドにて2人を射殺。警察官と銃撃戦になり射殺された。過激主義的で女性蔑視的な考えを持っており、事件を起こす数年前にはSF小説三部作を自費出版し、標的とした3人を殺害する場面を描いた。マクロード容疑者のバンを捜索した警察は、大量の武器と弾薬に加え、戦術装備、バイク、そして2組の手錠を発見した。
13. テキサス州アレン・ショッピングモール銃乱射事件(2023年5月6日)
加害者:マウリシオ・マルティネス・ガルシア(33歳)
場所:米テキサス州アレン
被害:8人死亡、7人負傷
概要:テキサス州アレンのショッピングモールで8人を殺害、少なくとも7人に負傷を負わせ、警察官に射殺された。インセルを自認していた。
これらの事件は、インセル的思想が単なるネット上での憂さ晴らしを超えて、暴力へと結びついているケースが増えていることを示している。特に、エリオット・ロジャー以降の事件では、彼を「英雄」と見なす犯行声明が次々と出され、インセルの思想が暴力の動機となった事件が急増した。このようなコミュニティ内での連鎖的影響のため、FBIではインセル的思想を過激な白人至上主義者、黒人分離主義者、無政府主義者などと並ぶ「暴力的過激主義」として扱うようになっている。
研究により明らかになるインセル男性の心理
米学術誌『The Journal of Sex Research』に掲載された最新の研究論文「インセル(不本意な独身者)の恋愛心理:不幸、誤解、不正確な表現」は、インセル男性が恋愛相手の女性に何を求めているかを多角的に分析した、総合的な比較研究だ。
この研究では、自称インセルの男性151人と、インセルではない独身男性149人を比較。その結果、インセルの男性は、女性や恋愛に関して深刻な「認知の歪み」を抱えていることが明らかになった。例えば、インセルの男性は、女性が男性を選ぶ際の基準として「LMS(外見・金・社会的地位)」を重視すると誤解しており、女性が男性を選ぶ際により重視する「知性、優しさ、理解、忠誠心、信頼性、ユーモア」といった要素を過小評価していた。
当初、インセル男性は主に若い白人男性のコミュニティと考えられていた。しかし、同調査では、一般的な人口比からかけ離れて有色人種が多く、約3割にのぼることが明らかになった。最終的なサンプルは409人の参加者で構成され、そのうち319人が男性(平均年齢29.00歳)、90人が女性(平均年齢31.50歳)。民族別の内訳を見ると、参加者の69.68%が白人、9.05%が混血、8.07%が南アジア/東南アジア系、4.64%が黒人、2.69%が中東系、2.20%がラテン系、1.96%がその他、1.71%が東アジア系という結果が得られた。エリオット・ロジャーも白人と中国系の混血であり、インセルが白人男性のコミュニティというイメージは消えつつある。
さらに、インセル男性は非インセルの男性と比較して平均身長が約2.37cm低いことが判明。こうした身体的特徴が、彼らの恋愛に対する自己評価に影響を与えている可能性が指摘されている。また、オンラインフォーラムを利用するインセルの多くは、フォーラムに参加したことで女性蔑視の意識が強まったと回答している。また、インセルフォーラムで頻繁に女性蔑視的な書き込みを行なっているのは、全体の約10%に過ぎない。ごく一部のインセル男性が、女性蔑視の思想を繰り返し執拗に書き込んでいることが伺える。
(次ページ:インセル男性とメンタルヘルスの関係)

- 長野弘子
米ワシントン州認定メンタルヘルスカウンセラー。NYと東京をベースに、15年間ジャーナリストとして多数の雑誌に記事を寄稿。2011年の東日本大震災をきっかけにシアトルに移住。自然災害や事故などでトラウマを抱える人々をサポートするためノースウェスト大学院で臨床心理学を専攻。米大手セラピー・エージェンシーで5年間働いた後に独立。現在ワシントン州の大手IT企業本社の常駐セラピストを務める。
ウェブサイト:http://www.lifefulcounseling.com
連載記事:https://soysource.net/category/colmun/children_teen_kokoro/