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NYで生きる!ワーキングマザーの視点

ベイリー弘恵|アメリカ

NYPDで唯一の日本人として17年間勤務したガイ京美さんが任期満了となった<前編>


Hiroe:キャリアの中で、特に印象に残っているエピソードを教えてください。

京美さん: 拳銃を使った強盗事件の追跡や銃撃戦に立ち会ったことですね。当時は緊張感がありましたが、その頃はNYPDでの仕事がやりがいに感じられました。メンター(指導者)のおかげで多くを学び、経験を重ねる中で自分の判断で対応できる力が身につきました。

Hiroe:打ち合いの現場にいたこともありますか?

京美さん: 正直、「これ危険だな」と思いました。当たったら命を落とすかもしれない場面で、緊張感はもちろんありましたけど、その頃は仕事が楽しかった時期でもあったんです。

巡回はストレスが多いので、肉体労働が多いですし、変な人とも関わらないといけないので、普通は巡回をいやがる人が多いのです。でも、私にはいいメンターがいて、いろいろ教えてくれたので楽しく仕事ができました。「こういう時はどうする?」といった対応の仕方を学ぶことができました。

Hiroe:一人で判断しなければならない場面もあったのですか?

京美さん: ええ。一人で現場に行くと、どう判断するべきかわからないことも多かったです。経験がないと判断は難しいんです。でも、試行錯誤しながら、「こういう風にハンドル(対処)すればいいんだ」とわかるようになりました。

Hiroe:そのような経験を通じて成長されたのですね。どのくらいで自信を持てるようになりましたか?

京美さん: 大体8~9年目くらいです。はじめはパートナーやフィールド・トレーニング・オフィサー(現場指導官)の下について学びましたが、ある時から正式な訓練も受けていないのにいつの間にか、トレーナー・オフィサー(トレーニー<研修生>を指導・教育する役割の職員)の役割を任されました。

Hiroe:独り立ちはどんな感覚でしたか?

京美さん: 9年目くらいから独り立ちしました。それまでの経験があったので、自信を持って仕事をハンドルできるようになりましたね。現場に行くと4-5人の新人しか到着していなくて、全員が一斉に私の方を見て指示をあおぐこともありました。

自分がリードできるようになったのは大きな成長だと思います。

Hiroe:詳しく知りたいので、繰り返しになりますが、特に印象に残っている事件はありますか?

京美さん: ドラッグストアを拳銃で襲う事件が流行った時期がありました。その対策でドラッグストアの周辺をパトロールすることが多くありました。その日は上司に昼休みを拒否されて仕方なく交通違反のチケットを書く為に19分署と私の所属する23分署の境界線に車を止めていました。

その時突然ラジオで19分署に拳銃を使ったドラッグストア強盗を追跡していると言うメッセージが流れ私とパートナーは19分署をバックアップする為に追跡中の方向に向かいました。

強盗は、アップステートに住んでいる薬物依存者だったんです。私たちはFDR(Franklin D. Roosevelt Driveイーストサイドの道路)のNorth Bound(北方面行きの路線)とE 96 ストリートで逃走を防ごうとしました。

現場に到着後、私はその日運転していたので犯人の車の進行を防ぐようように車を止めて、その間に私のパートナーが車から飛び下りて19分署の人たちと犯人を捜していました。その時、銃声が飛び交い打ち合いが始まったんです。犯人が拳銃を持っていたので、私のパートナーと19分署の警官が犯人を撃ちました。

流れ弾が誰にも当たらなかったのは幸いでしたが、犯人はその場で死亡しました。私が車から降りて歩き始めた時に銃撃戦が始まり私は発砲はしませんでした。


Profile

著者プロフィール
ベイリー弘恵

NY移住後にITの仕事につきアメリカ永住権を取得。趣味として始めたホームページ「ハーレム日記」が人気となり出版、ITサポートの仕事を続けながら、ライターとして日本の雑誌や新聞、ウェブほか、メディアにも投稿。NY1page.com LLC代表としてNYで活躍する日本人アーティストをサポートするためのサイトを運営している。

NY在住の日本人エンターテイナーを応援するサイト:NY1page.com

ブログ:NYで生きる!ベイリー弘恵の爆笑コラム

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