日本の中心は諏訪にあり 「原日本」を求めて諏訪大社の秘密に迫る
撮影:内村コースケ
第18回 諏訪大社上社参道 → 下諏訪駅
<令和の新時代を迎えた今、名実共に「戦後」が終わり、2020年代は新しい世代が新しい日本を築いていくことになるだろう。その新時代の幕開けを、飾らない日常を歩きながら体感したい。そう思って、東京の晴海埠頭から、新潟県糸魚川市の日本海を目指して歩き始めた。>
◆諏訪大社4社を1日で巡る「歩き旅」
今回は諏訪大社を巡る。諏訪大社は、全国の諏訪神社の総本山的なメジャーな神社だが、最古の神社の一つと並び称される出雲大社のように「諏訪大社」という一つの大きな神社があるわけではない。まず、「上社」と「下社」に分かれ、さらに上社は「本宮」(長野県諏訪市)と「前宮」(茅野市)、下社は「秋宮」「春宮」(下諏訪町)に分かれる。つまり、諏訪湖を中心に散らばる4つの神社を総称して「諏訪大社」と言う。
そんな特異な形を取る諏訪大社は、日本の成り立ちを考えるうえで鍵となる存在だ。現代日本の象徴である天皇は神社と切っても切れない関係にあり、日本の国体は、時代の波にもまれながらも、根本的には神社とその信仰と共に築かれていったと言ってもいいのではないだろうか。一方、諏訪大社の悠久の歴史を紐解くと、それよりもさらに前の"原日本"ともいうべき日本人の真のルーツが見えてくる。「日本を知る」ことがこの『日本横断徒歩の旅』のテーマだから、今回はある意味旅全体のハイライトである。
スタート地点は、上社本宮の参道入り口。宮川にかかる橋の手前の大きな石造りの鳥居が目印だ。3kmほど歩くと上社本宮に至る。諏訪大社の参道というと、古式ゆかしい苔むした石畳の道などをイメージしがだが、実際の現在の姿は片側一車線のごく普通の生活道路。途中の交差点からは、全国チェーンのファストフード店や携帯ショップ、自動車ディーラーなどが立ち並ぶ、日本全国どこにでもある"埼玉通り"(現代日本の標準は埼玉にあり、とする魔夜峰央原作の映画『翔んで埼玉』にちなむ)も見えた。古の日本へといざなう参道は、現代の俗世をも包み込んでいた。
◆「原日本」と「現日本」が融合する地
諏訪大社と言えば、7年に1度催される御柱祭が有名だ。山から切り出した御柱(長さ17m、直径1m、重さ10トンほど)を諏訪大社の4社へ各4本(計16本)、氏子たちが掛け声と共に曳いていく。御柱とは、境内の4隅に立てる御神木のことで、7年に一度の立て替え工事が神事(祭り)の形となったのが、天下の奇祭と言われる御柱祭の正体だと考えると分かりやすい。
御柱祭の最大の山場は、人が乗ったまま急斜面を下る「木落し」と、川を渡る「川越し」だ。普段は朴訥で控え目な諏訪の人々も、この日ばかりは燃え上がる。毎回のように死者とけが人が出ることもよく知られている。僕は、前回(2016年)の御柱祭をこの目で見たが、御柱は、一般的な祭りの神輿(みこし)や山車(だし)のごくプリミティブな形態なのだと解釈した。ルーツは縄文時代の巨木信仰にあるという説もあるように、日本の祭りの原風景が、諏訪の地には脈々と受け継がれている。
御柱祭は、諏訪大社だけのものではなく、小さな社を含め、諏訪地域の全ての諏訪神社で同時期に行われる。それらの小さな御柱祭は、地元では「小宮祭」と呼ばれている。当然、小宮祭で曳かれ、立てられた4本の御柱は、諏訪地域のどんな小さな神社にも見られる。面白いのは、全国共通の鳥居も併存していることだ。このある意味アンバランスな光景を、今回、上社本宮の参道沿いの土手下の社でも見かけた。御柱が象徴するのが縄文的な「原日本」なら、その後の神話時代に端を発する「現日本」の象徴は鳥居である。そして、両者が重なり合う諏訪の神社は、「原日本」と「現日本」の融合の象徴に見える。
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