輝く日本海に新時代の幕開けを予感して
撮影:内村コースケ
第30回(最終回) 頸城大野駅 - ヒスイ海岸
<令和の新時代を迎えた今、名実共に「戦後」が終わり、2020年代は新しい世代が新しい日本を築いていくことになるだろう。その新時代の幕開けを、飾らない日常を歩きながら体感したい。そう思って、東京の晴海埠頭から、新潟県糸魚川市の日本海を目指して歩き始めた。>
◆最後の再スタート
いよいよ最終回である。東京湾から歩き繋ぐことちょうど30回目。目的地の日本海まで約10kmと迫った糸魚川市郊外の大糸線・頸城大野(くびきおおの)駅から、最後の再スタートを切った。
米どころ・新潟は収穫の秋を迎えていた。あちこちからコンバインやトラクターのエンジン音が聞こえ、子供からお年寄りまで一家総出で稲刈りをする姿が見られた。そんな光景を横目に、駅から北東方向に見える里山に向かって歩を進める。前回で触れたように、フォッサマグナの要衝にある糸魚川は、北アメリカプレートとユーラシアプレートがぶつかる東西日本の境界の地。世界的にも貴重な地質なため、「ユネスコ世界ジオパーク」に指定されている。
そして、糸魚川は5億年以上前の地殻変動によって生成された国石・ヒスイ(翡翠)の世界有数の産地である。その特異な地質の成り立ちと、宝石のひみつを知ることができる「フォッサマグナミュージアム」が、目指す山の上にある。前回の歩きで訪れたヒスイの産地の「ヒスイ峡」、実際の地層にプレートの境界を見ることができる野外展示「フォッサマグナパーク」、そして、「フォッサマグナミュージアム」とこの旅の最終ゴールに定めている「ヒスイ海岸」が、糸魚川の重要スポットである。
◆日本の「真ん中」を時代の「節目」に歩いた旅
改めておさらいすると、フォッサマグナとは、日本列島がユーラシア大陸から分裂して今の形になる過程で、東日本が乗っている北アメリカプレートと西日本が乗っているユーラシアプレートがぶつかり合い、その間にできた海が隆起して陸地になった地溝帯だ。富士山・八ヶ岳・妙高山などの火山が連なる帯状のエリアの西縁が、静岡と糸魚川を結ぶ南アルプス・北アルプスに沿った糸魚川―静岡構造線。東縁は新潟県柏崎市と千葉県の犬吠埼あたりを結ぶ柏崎―千葉構造線と新発田―小出構造線(いずれも新潟県)をつないだラインである。
この「日本横断徒歩の旅」の目的は、愚直に日本の真ん中を歩き続けることで、「日本のリアルな今」を見直すことであった。極端な事象や政治経済の動きだけがニュースではない。地味な日常にこそ、事実とその先にある真実が宿る。僕にはそんな信念がある。果たして、日本列島の地質的・文化的な「真ん中」に位置するフォッサマグナを歩くことで、この国の「都会」「地方」「過疎地」「海」「山」の姿を、日本史の核となった各地域の歴史も交えて偏りなく抽出することができたと思う。
歩くコースが「境界」なら、歩く時期も時代の「節目」を選んだ。2019年2月にスタートし、戦後の終わり・新時代の幕開けとなりそうな2020東京オリンピック・パラリンピックの閉幕時期に合わせてゴールするようペース配分した。結果的に五輪はコロナ禍によって1年延期され、僕の旅の終わりも今(2021年9月)になった。図らずも、途中で元号が平成から令和に切り替わり、新型コロナウイルスの流行により、日本のみならず世界的な時代の節目にもぶつかることとなった。
◆神話の成り立ちから閃いたヒスイ「再発見」
ヒスイは、フォッサマグナの成立と深い関わりのあるプレートが落ち込む地下深くでできた宝石である。長い年月をかけて地表に現れた原石が、渓流で磨かれながら海に流れ出て、再び海岸に流れ着く。糸魚川エリアに点在するそうした海岸の一つが、今回目指している旅の終着点「ヒスイ海岸」だ。
ヒスイにはさまざまな色があるが、縄文時代〜古墳時代には、特に緑色に輝くものが宝石として珍重された。当時は金以上の価値があったと言われ、勾玉(まがたま)などに加工されて富や権力の象徴となった。しかし、奈良時代になるとヒスイは一気に廃れてしまった。この糸魚川でも長い間忘れ去られた存在で、かつてヒスイと呼ばれていた石は、どこにでもある石として漬物石として使われるくらいだった。近代になって"再発見"されるまで、ヒスイは日本では産出しないとされていたのだ。
ヒスイが"消えた"理由には諸説あるが、古墳の副葬品とするなどヒスイに特別な意味をもたせていた日本土着の縄文文化が、外来の仏教文化に取って代わられたことが大きく影響しているのは間違いない。それが2016年に「国石」の座に返り咲くまでになったのは、この糸魚川の地でようやく昭和になって再発見されたからだ。大正時代にも、ヒスイが糸魚川で発見されたとされる出来事があったが、正式にヒスイだと認定された石が小滝川のヒスイ峡で発見されたのは、1935年(1938年説もあり)のことだ。
これには、早稲田大学校歌『都の西北』の作詞者として知られる糸魚川出身の文人、相馬御風(そうま・ぎょふう)が大きく関わっている。御風は、糸魚川に今で言うUターンをした後、郷土史研究と遺跡調査に没頭。その過程で、日本神話に登場する奴奈川姫(ぬなかわひめ)の伝説に着目した。奴奈川姫は、高志の国の「越」(現在の新潟県南西部=糸魚川一帯)をヒスイのパワーを使って治めていたとされる女神で、出雲の国の大国主命(おおくにぬしのみこと)と結ばれた。
なぜそのような伝説が残っているのか。当時の権力の中心だった出雲(大国主命)と、権力の象徴に用いられていたヒスイの産地である糸魚川(奴奈川姫)の間で、盛んに交易があったのではないか。ひいては、ヒスイが枯渇したとは考えにくいので、今も糸魚川でヒスイが産出するのではないか。そんな御風の考えを伝え聞いた地元の鉱石ハンター、伊藤栄蔵氏が、1935年にヒスイ峡の一角の滝壺で緑色に輝く石を発見。それが専門家(東北帝国大学・河野義礼博士)の鑑定よって、初めて正式に国産のヒスイと認定されたのだった。
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