輝く日本海に新時代の幕開けを予感して
◆日本の「地質」「神話」「自然現象」「現代文化」が一本の線でつながった
フォッサマグナミュージアムがある山を下れば、糸魚川の中心市街地である。駅の手前、市役所の隣に立派な神社があった。天津神社・奴奈川神社という二つの本殿を持つ奴奈川姫ゆかりの神社だ。日曜日とあって、出産を控えたカップル、受験の祈願に来た親子らが次々と参拝に訪れていた。奴奈川姫の伝説が今も市民の生活に根付いていることが伺える。
この「日本横断徒歩の旅」では、縄文文化が息づく"原日本"の中心、諏訪も通過した。そして、糸魚川に着いて奴奈川姫のことを調べてから初めて、諏訪と糸魚川をつなぐ伝承を知った。既に書いた通り、奴奈川姫は出雲の大国主命と結婚したわけだが、その間に生まれた子が、建御名方神(タケミナカタ)である。タケミナカタ、聞いた名前だなあと思ったら、諏訪大社の祭神である。糸魚川の伝説では、タケミナカタは僕が歩いてきたルートの逆をたどって諏訪に入り、諏訪大社の神になったという。つまり、諏訪の神様も構造線に沿って「日本の真ん中」を歩いたというわけだ。
太平洋から諏訪を通過して糸魚川に至る静岡―糸魚川構造線は、現代の東日本と西日本の文化的境界にもなっているが、そのルーツは「神様が歩いた道」でもあったわけだ。構造線が通る諏訪湖には、厳冬期に氷がぶつかり合ってできる神様の道、「御神渡(おみわたり)」ができる。これも言われてみれば、なんだかフォッサマグナの成り立ちにも重なる。今、僕の中では、日本列島の地質的な成り立ちと神話、自然現象と現代文化が、2年半かけて歩いてきた「日本の真ん中」のルート上で、スッと一本の線でつながったような気がしている。
◆雁木造りと火事の街
現在の糸魚川は、この旅でも通った千国街道(塩の道)と北国街道の交点にある宿場町から発展した。令和の今はご多分にもれず衰退期にあり、駅前商店街はなかなかのシャッター街であった。食事をしようと駅の観光案内所でもらったパンフレットを便りにさまよったが、コロナ禍とはいえ、昼時にも関わらず開いている店はごくわずか。やっとの思いで昼定食も出す居酒屋を見つけたが、新幹線停車駅としてはいささか寂しい状況だ。
駅から真っ直ぐ10分も歩けば日本海とぶつかる。そこから海岸沿いに北東に進めば目指すヒスイ海岸である。ちなみに、反対方向に進むと景勝地の親不知(おやしらず)がある。念願の日本海に出る前に、ぐるりと旧市街を散策。冬に消雪パイプから出る水に混じった錆が、道路を赤く染めていた。これもまた、雪国特有のリアルな光景だ。千国街道の起点は地酒『謙信』の酒蔵がある古い町並みにあった。山梨県を歩いていた時は信玄ゆかりの地や伝承のオンパレードだったことを思い出す。歩いたからこそ、戦国時代のライバル同士の「距離感」も実感できる。
錆色の道と共に北陸の風情を感じるのが、雁木造(がんぎづくり)の家並みだ。沿道の家々の軒が伸びて歩道を覆っている雪よけで、木造の純和風アーケードといった趣きだ。そんな雁木造りの裏路地に居合わせた老人に「風情のある路地ですね」と話しかけると、「糸魚川は火事の多い所でな」とポツリ。確かに、糸魚川の歴史を紐解くと、江戸時代から繰り返し大火が起きている。記憶に新しいところでは、2016年にちょうどこのあたり一帯を焼いた大規模火災があった。伝統的な雁木造りの古い家並みも、大火のたびに消えては再建されているのだろう。この火事の多さもまた、フォッサマグナに関係していて、構造線に沿った谷筋を乾燥した風が吹き下ろす「フェーン現象」が要因となっている。
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