日本の中心は諏訪にあり 「原日本」を求めて諏訪大社の秘密に迫る
◆前宮が真の主役か
続いて前宮へ足を伸ばす。さらに南東へ1kmほど進んでから守屋山寄りに少し入った斜面にあるのだが、「大社」と呼ぶには小さな社である。両手を清める手水は、社殿の脇を流れる自然の小川で行う。そんな質素な佇まいが、かえって原日本的で心地よい。社殿の背後には塀で囲まれた神域があり、一般の参拝客は入れない。なぜなら、こここそが、出雲から逃げ延びてきたかのタケミナカタとその妻、八坂刀売命(やさかとめのみこと)が祀られた場所だと考えられているからだ。
「前宮」とは、現在の諏訪大社の様相を見ると「本宮」に対する前座的な意味合いに聞こえるが、本宮より「前(=以前)」からあったお宮という解釈も成り立つ。つまり、守矢家側の観点では、こちらが本来の自分たちの信仰の地なのである。そこにタケミナカタがやってきたという混沌とした様相ではあるが、上社の真の主役は前宮という解釈もできそうだ。本宮の拝殿がイレギュラーな形で前宮の方に向いていたのも、それならば説明がつく。
そんなわけで、ますます「日本の原点ここにあり」感が増すわけだが、実際にその場に立つと、守矢家も前宮もとても地味な場所だ。しかし、「ここに日本の原点がある」いう視点を持つと、俄然パワースポット然とした強い空気を感じるから不思議なものだ。今回の旅を経て、守屋山が見下ろすこのエリアは、若い頃から日本人としてのアイデンティティを求めていた僕にとっては、特別な場所になった。
◆現代に戻って下社を目指す
前宮を後にして、諏訪湖とその先の下社を目指して再び北西へ進む。途中の市街地には、冒頭で垣間見た"埼玉通り"的なエリアもあって、古(いにしえ)のロマンから一気に現実に引き戻されてしまった。「ありのままの日本を見る」というのがこの旅の主旨だから、それもまた良し、ではある。
この日は、新型コロナウイルスの流行による緊急事態宣言が出される前の2月29日。原稿を描いている今が、この長野県を含む39県の緊急事態宣言が解除された5月14日だ。この当時は、町を行き交う人々のマスク着用率はまだ半分くらいで、自粛パニックの走りでトイレットペーパーがどこへ行っても品切れという状況。諏訪市の郊外住宅地のホームセンターを覗いてみると、やはりトイレットペーパーとティッシュペーパーの棚だけが見事に空だった。
そんな現代のリアルに触れた後、諏訪湖の手前の高島城に立ち寄った。復元された天守閣と立派な堀があるなかなかの城なのだが、古代ロマンにどっぷり浸かった後では、戦国時代がえらく新しく感じる。さらに小1時間歩き、諏訪湖畔で夕暮れを迎えた。真っ赤な夕日に映える湖面の写真でもお届けしたいところだったが、あいにくの曇りで叶わず。それでも、水辺の黄昏は良いものだ。
到着が日没後になるのは確実だったが、最後の力を振り絞って下社秋宮、続いて春宮へ。こちらは上社の本宮と前宮とは違い、まるで双子のような瓜二つの神社が約1.5km隔てて建っている。下社は上社よりも少し新しく、大和朝廷の命により守矢家の影響が強い上社を牽制するために建造されたという説がある。「上」と「下」は諏訪湖を中心とした河川の上流側・下流側という位置関係を表す名称で、下流側の平地が多い地域の方が農耕が盛んで、上社がある山側は狩猟文化が色濃く残っていた。そんな現代にも通じる地域性が、神社の性格にも反映されている。
誰もいない夜の下社に到着。ほのかにライトアップされた姿もまた神秘的でなかなか良いものだ。秋宮と春宮の拝殿をそれぞれ正面から撮影して、双子っぷりを堪能。本日のミッションはこれにて終了とし、下諏訪駅まで歩いて次回に繋いだ。
今回の行程:諏訪大社上社参道 → 下諏訪駅(https://yamap.com/activities/5729856)※リンク先に沿道で撮影した全写真・詳細地図あり
・歩行距離=23.5km
・歩行時間=10時間00分
・上り/下り=175m/174m
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