「耳をすませば」の舞台、青春の記憶呼び起こす多摩の丘
◆自然との邂逅を求めて
多摩川と言えば、昭和末期の高校時代には、二子玉川の河川敷で仲間と夜中に即興音楽や焚き火をした思い出がある(今では許されないだろう)。河口近くでは、一時期夜釣りをよくしたものだ。都会育ちの僕らにとっては、多摩川は最も身近な自然との接点だった。晴海から2日間にわたって計40km近く歩いてきて、そろそろ自然との邂逅を果たしたいという気持ちも、多摩川へ向かわせる原動力となった。
稲城大橋を過ぎた後、河川敷を出た。ボートレース多摩川(多摩川競艇場)方面に歩を進める。そういえば、このあたりはもう府中市。ボートレース場を過ぎてしばし住宅街を歩き、是政橋のたもとで再び多摩川にぶつかった。このまま北岸を行けば、府中駅を経て立川に至る正攻法のルート。でも、僕はあえて橋を渡ることにした。南岸に見える多摩丘陵に惹かれたからだ。
調布スタートの今回は、立川、もしくは日野あたりが到達目標だ。その隠れテーマは、上にも書いたように、「自然との邂逅」。世界で最も都市化が進んでいる東京圏の中で、西に向かって最初に出会う水の自然が多摩川だとすれば、山の自然は多摩丘陵であろう。
◆多摩丘陵の自然の中にある米軍施設
是政橋を渡って南岸につくと、大根を自転車の荷台に載せた"大根カウボーイ"や、これまであまり目にしなかった鉄塔といった、本格的に郊外を感じさせる風景に迎えられた。稲城市と多摩市の境界には広大なゴルフ場(桜ヶ丘カントリークラブ)がある。そして、恥ずかしながら僕はつい最近まで知らなかったのだが、ここには『多摩サービス補助施設』という東京ドーム41個分の米軍施設もある。
僕は、「イデオロギーを持たない」のがイデオロギーだという、政治問題は是々非々で考えるタイプである。米軍がいなくなれば、日本は丸腰同然になるという淡々とした現実があるが故に、米軍の駐留自体には反対ではない。一方で、沖縄本島に行った際には、米軍基地が占める割合の多さに率直に驚いた。沖縄だけを見れば日本はアメリカの植民地だと言われても何も違和感を持たないかもしれない。そうした環境で激しい反対運動が起きるのは、裏にキナ臭い政治的な意図があるとしても、理屈抜きの心情としてはよく分かる。
東京ドーム41個分の『多摩サービス補助施設』は、旧日本陸軍の火薬製造所を接収した武蔵野の自然が色濃く残った丘陵地帯だ。接収当初は米空軍の弾薬庫が置かれたが、やがて弾薬が直接横田基地に運ばれるようになり、遊休化していったという。1969年から、米軍のレクリエーション施設となり、ゴルフ場と乗馬施設などが置かれている。最近車で横を通る機会が何度かあったが、いつも人影は皆無だった。今回はかろうじて乗馬をしている女性の姿が見えたが、東京都が国に対し、アメリカに返還を要求するよう強く求めているというのも、納得できる話ではある。
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