政治と五輪を振り返る──学校や医療の現場から
A MULTIFACETED LEGACY
政治の社会とのコミュニケーションは致命的なまでに失敗続きだった。菅は「安全安心」を繰り返したが、そもそもリスクコミュニケーションの世界では、安全と安心は別物として捉えられている。
安全は客観的な指標で評価でき、安心は人々の気持ちや感情が入り込む主観的な要素が強いものだ。肝心のパンデミック下のオリンピックにおける「安全」の指標は示されず、結果的に「安心」よりも「本当に大丈夫か」という疑念が広がった。
開催の大義も安全の定義も示されないなかで、辛うじて救いになったことが2つある。
第1に、少なくない国民が冷静な判断をしていたこと。第2に、現場レベルでリスクを下げようとした有名無名の実務家がいたことだ。
対策のチャンスを逃した政府
第1の点を掘り下げよう。「開催によって、人々はもっと積極的に出歩くようになる」という論調も支持を集めていたが、データを見れば別の側面が浮かび上がる。
専門家が呼び掛けた「8月26日まで集中的な対策をして、東京の人流を緊急事態以前の7月前半の5割にする」という提言は全く効果がなかったわけではないからだ。
東京の街を出歩けば、平然と人が歩いているようには見える。だが、開催期間中も人流は減り、厚生労働省アドバイザリーボードが8月18日に発表したデータによれば、8月15日時点で人流を約36%減らすことができていた。
掲げられた5割にこそ届いていないが、あと14ポイント、目標の7割は達成できていたことがデータで示されている。
JR東日本の発表によれば、お盆の帰省客も2019年と比べて7割以上減っている。2020年と比べれば帰省客が増えているのは事実だが、「慣れ」が散々指摘されたなかであっても、多数派はパンデミック以前のような移動を諦め、対策に協力していた。
最大のチャンスをみすみす逃したのは政治だ。政府のコロナ対策分科会のメンバーで行動経済学を専門とする大竹文雄が指摘しているように、8月中旬の段階で「目標の7割は達成できている」というポジティブな事実を強調する効果的なコミュニケーションを取ることができれば、もう少し協力を得られたかもしれない。
だが、結果的に人の流れは増え、8月末には目標の4割まで後退した。
コミュニケーションの失敗は大会を開催すべきか否かをはじめ、幾多の分断を生み出す。
オリンピックのあらゆる問題は常にコロナと結び付けられた。分断に振り回されるのはいつも現場だったが、彼らは彼らで極めて実務的にリスクと向き合った。
ここでは2つの事例を紹介しよう。