政治と五輪を振り返る──学校や医療の現場から
A MULTIFACETED LEGACY
「医療逼迫」の懸念が独り歩き
今年8月19日のことである。東京23区内のある小学校校長は、インターネットやテレビから流れてくるニュースに苦笑せずにはいられなかった。
それはこう報じられていた。東京パラリンピック会場での児童・生徒の観戦について、都の教育委員会が反対の姿勢を鮮明にしたにもかかわらず、都教育庁は「現場から強い要望がある」ことを理由に実施すると言った、と――。インターネットでは「子供たちを感染の危険にさらすのか」といった批判が渦巻いていたが、ここにはねじれがある。
少なくとも、この校長の区で現場から観戦への「強い要望」を訴えたというファクトはなかった。最終的に直前で観戦は取りやめになったが、ぎりぎりまで児童の観戦について「強い要望」を出していたのは明らかに区側である。
東京都も区も子供たちが観戦したという実績を作りたがっていたのは明白だった。そして、現場が最も懸念していたのは、社会が懸念した「観戦によるコロナ感染拡大」ではなかった。
校長会は問題が表面化してからというもの一貫して、「この状況下では全児童のパラ観戦は難しい」と区に声を上げてきた。最も懸念していたのは低学年児童の存在だ。
昨年入学した今の小学2年生は、遠足なども含めて授業時間に校外に出た経験が一切ない。今年入学したばかりの1年生も同じだ。それにもかかわらず、行政サイドは公共交通機関での移動を求めてきて、観戦競技も勝手に割り振ってきた。移動の具体的な方法は現場任せだった。
区側の危機管理は甘過ぎるほど甘かったが、学校現場はパンデミック下の1年半で一定の知見を蓄えていた。彼らが提言したのは、バスでの集団移動ならばリスクを可能な限り低く抑えることができるということだった。
実際に保護者の同意を取って最小限の日程で実施した修学旅行では、マスクを着用してバスに乗り込み、換気も徹底することでコロナだけではなく、通常の学校現場でよく発生するような感染症の広がりも抑えてきた。デルタ株流行後も基本的な対策強化を当たり前のようにやってきた。
現場からの提言を受けて、学校ごとの貸し切りバスでの移動を認めるという回答が来たが、最終的に区は観戦中止を決めた。校長たちに伝えられたのは決定事項のみで、詳しい理由は明らかにされなかった。
「『区の決定は英断』という声がネット上に広がっていたが、私たちからすれば何も意見を聞いてこなかったのは区のほうだ。パラリンピックを観戦させたいという思いばかりが先行して、具体的な方策を考えていない。あらゆるリスクを抑えようと提言してきたのは現場だ。高学年のみ、バス移動ならば修学旅行より難易度は低いので実現できると答えたと思う」(小学校校長)