政治と五輪を振り返る──学校や医療の現場から
A MULTIFACETED LEGACY
パラリンピックの聖火集火式に参加する菅首相(東京・赤坂離宮迎賓館、8月20日) THOMAS PETER-REUTERS
<五輪を利用しようとした政治をよそに、冷静に、実務的にリスクと向き合った学校や医療の現場。教訓は「災害下の日常」にある>
いつからか東京オリンピックはあまりにも特別な政治イシューとなってしまった。開催に向けて突き動いてきた菅義偉政権も、批判的人々も、特別なナショナルイベントとしてのオリンピックという視点は共有していた。
税金を投入するイベントは数多くあるにもかかわらず、オリンピックは議論の量も熱量も「特別」だ。
新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)下において、オリンピックの成功とは何か。
それを日本選手団の金メダルの数で定義するのならば、東京オリンピックはかつてない大成功に終わっている、はずだった。
菅政権は「なんとしても、東京オリンピックを開催したい」という一点だけは貫き通した。いつの間にか開催の大義は東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故からの「復興」から、パンデミックの克服になった。緊急事態宣言まで出した上で、無観客開催が望ましいという専門家の提言を踏まえる形での開催にこぎ着けた。
政権からすれば、全面的に有観客ならばなお望ましかっただろうが、政治的に妥協できる範囲内での開催という果実だけは手に入れた。
日本は史上最多となる27個の金メダルを獲得した。それでも、菅政権が狙っていたとされる政権支持率の浮上という意味での好影響は全くなかった。
たった1年前に60%以上の高支持率でスタートした政権は、各社世論調査でも支持率が20%台後半~30%前後まで下がり、8月に入っても長期的な下落傾向への歯止めはかからないまま、退陣にまで追い込まれた。
新型コロナウイルスの感染者数と支持率は連動している。8月に入ってから緊急事態宣言の対象エリアが最終的に21都道府県にまで広がってしまった以上、支持率低下は自明の理だ。
それは同時に、政権に批判的な人々が思い描いていた最悪のシナリオ、すなわち「国民がオリンピックに熱狂し、コロナを忘れ、菅政権が再浮上する」もまた杞憂に終わったことを意味する。
振り返れば、東京オリンピックは当初からトラブル続きだった。
国立競技場の設計、ロゴの盗用問題から始まり、大会組織委員長の森喜朗は女性蔑視発言で去った。開会式の演出チームの責任者は紆余曲折の末、電通出身の佐々木宏に交代したが、出演予定者の容姿を侮蔑する発言で辞めた。さらに開催直前で開会式の音楽を担当していた小山田圭吾は過去のいじめ発言が問題視されてこちらも辞任し、過去にホロコーストを揶揄したディレクターの小林賢太郎は解任された。