文部省教科書『民主主義』と尾高朝雄
こうして見ると、『民主主義』の叙述を貫いている政治哲学は、その編纂の直前に尾高が著書『国民主権と天皇制』(一九四七年)で展開した、いわゆる「ノモス主権論」と共通していることがわかる。この著書の第二章で尾高は、いかなる権力も従わなければいけない「法の根本理念」があると説き、「法の上にある力」としての「主権」のイメージを批判した。尾高の考えでは、アリストテレスが人間の最高至上の目的としても「エウダイモニア」(福祉)と規定したような、「正義」こそが政治の守るべき根本の規範である。そうした「ノモス」をこそ、「法の理念としての主権」と見なすべきだと提案した。
これは、そもそも「主権」の概念自体を否定する理論と解するのが適切であったが、この「ノモス」についても「主権」と呼んでしまったことが災いしたのだろう。憲法学者、宮澤俊義から、日本国憲法制定による「君主主権」から「国民主権」への転換を曖昧にするものだという批判を受け、現行憲法をめぐる論争史においては尾高の敗北と位置づけられる結果に終わった。
だが、たとえ国民の大多数が支持し、喝采を送る政治権力であっても、それが具体的な人間の意志が行使する力である以上、「正義」をふみにじることは許されない。そうした尾高と『民主主義』の洞察は、むしろ二十一世紀の現代になって、ますます重要な意義を持っているように思われる。現在は安全保障問題から皇室制度に至るまで、広い意味での憲法秩序をめぐる議論が活発になりつつある。そのさいに七十年前の言説を読み直し、そこから有益な示唆をえるのも、また大事なことだろう。
苅部 直(Tadashi Karube)
1965年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。専門は日本政治思想史。著書に『光の領国 和辻哲郎』(岩波現代文庫)、『丸山眞男』(岩波新書、サントリー学芸賞)、『鏡のなかの薄明』(幻戯書房、毎日書評賞)、『歴史という皮膚』(岩波書店)、『安部公房の都市』(講談社)など。
【参考記事】偽物の効用----「震災遺構」保存問題の周辺から
『アステイオン86』
特集「権力としての民意」
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
CCCメディアハウス
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