文部省教科書『民主主義』と尾高朝雄
尾高については、ハンス・ケルゼンやエトムント・フッサールなど、当時の最先端の法学・哲学・社会学の理論を総合した独創性や、植民地大学との関わりが、近年は研究者の注目を集めるようになっている。その尾高が『民主主義』の執筆に携わっていたということは、このたびの第九刷の帯で、初めて知った。
東大と一橋大学の図書館には、『父・尾高朝雄を語る――久留都茂子インタヴュー記録』(二〇一二年三月)という自主刊行の冊子が寄贈されている。そこに収録された尾高の次女、久留都茂子の回想談によれば、『民主主義』の原稿は、当初執筆者全員が分担して書いたが、全体の統一がとれないので、改めて尾高が「マッカーサー司令部の人と二人で相談して」全体を書き起こした。尾高朝雄がこの教科書の作成においてはたした役割は大きかったのである。
教科書それ自体は、中学生・高校生に対して「民主主義のほんとうの意味」(「はしがき」冒頭)について体系的に説き聴かせるという、オーソドックスな内容のものである。現在の高校教科書よりも詳しく、さまざまな論点にふみこんで説明しているので、径書房が新版を刊行したのも、いまでも教育現場で十分に使える質をもっているという判断からであろう。
しかし、おそらくは尾高の考えを強く反映していると思われる特色があるのも、またたしかである。『民主主義』の第五章「多数決」には、「民主政治の落し穴」と題した一節がある。さしあたり尾高の作品として解しておくなら、そこで尾高は、政治上の対立を解決し、さしあたり一つの方針を決めるための「便宜的な方法」として多数決の意味を認めている。
だが、「多数の意見だからその方が常に少数の意見よりも正しいということは、決して言いえない」。ドイツにおける「ナチス党」の政権獲得を例に挙げて、「多数を占めた政党に、無分別に権力を与える民主主義」の危険性を、尾高は民主政治の「落し穴」としてきびしく批判する。ナチスの擡頭を現地で見ていた尾高にとっては、強い実感をともなうエピソードであっただろう。いまはやりの呼び方をすれば、ポピュリズムに陥ったデモクラシーの危険性である。
したがって「言論の自由こそは、民主主義をあらゆる独裁主義の野望から守るたてであり、安全弁である」と、自由を確保し少数意見を尊重することが、民主主義を「独裁主義」に転化させないための重要な手だてとなる。尾高はそう説き、民主主義者は「国家のためということを名として、国民の個人としての尊厳な自由や権利をふみにじることに対しては、あくまでも反対する」と論じた(第八章)。個人の自由と権利は、民意に基づいた正当な権力であっても、必ず擁護しなくてはいけない統治の目的なのである。