コラム

階級社会イギリスに「コロナ格差」はなし

2020年05月14日(木)13時10分

回復したジョンソンだが重症化するまでコロナ対策に奔走(5月6日) Henry Nicholls-REUTERS

<国家の危機に際して特権階級が率先して危険な任務を果たしてきた伝統が、イギリスでは今も残っている>

オックスフォード大学のクライストチャーチ・カレッジの壁には、461人の名前が刻み込まれている。第1次大戦で命を落とした239人と、第2次大戦で亡くなった222人の同カレッジ出身者たちの名前だ。1年にほんの200人ほどの男子学生しか入学を許されないカレッジにとってこの数字は、一世代ちょっとの期間に驚くほどの犠牲者を出したことを意味する。

クライストチャーチはエリート中のエリート校で、オックスフォード大学のカレッジの中で最高峰であり、イギリスの最高特権階級や超富裕家庭の子息が通う場所。この壁に刻まれた戦争記念碑は、こうした最も「幸運に恵まれた」若者が、アンバランスなほど過度に、国のために戦って死んだことを思い起こさせる。

よくありがちな戦争のイメージは――第1次大戦の場合は特に――貴族階級の将校が安全な後方から、「工場や農場」出身の若い兵士たちに命令し、塹壕から追い立ててマシンガンの火の海に突撃させる、というものだろう。それも一理ある。ただし、命令を受けて先頭に立つのは、将校自身の息子や甥や身内だったという点を除けば(彼らは大尉や中尉を務めていた)。

近代イギリス史で、政治的過激主義や暴力的革命があまり起こらなかった理由の1つも、そこにある。つまり、最上級の特権に恵まれた人々が命を賭して国のために尽くしていることで、階級制度への怒りは薄まり、「あいつら上流階級とわれら庶民」という意識も弱まるからだ。

クライストチャーチの記念碑を見れば、2つ、3つつながった姓の多さに驚くだろう。ノルマン姓や貴族の称号(男爵、伯爵、子爵)もちらほらあり、明らかにこの死者たちが上流階級だったことを物語っている。

ロックダウン(都市封鎖)の続くある日の午後、僕はクライストチャーチの戦没者をインターネットで調べてみた。予期してはいたが、個々人の物語に心を動かされた。第2次大戦で命を落としたレノックス‐ボイド家の3兄弟(うち1人はドイツを訪れて1939年に逮捕され、開戦前に死亡)。偉大な英首相の1人、ウィリアム・グラッドストーンの孫も戦死。父は第1次大戦で、息子2人は第2次大戦で戦死したヒースカット‐エーモリー家。ある子爵は、軍病院で看護師を務める妻をチフスで失った数週間後に、自らも死亡。政治家、弁護士、侯爵の孫......戦争の「高揚感」などわざわざ体験しに行かずとも前途が約束されていた人々だ。

首相も王室も特別待遇はされない

新型コロナウイルス感染で死にかけたジョンソン英首相が、こうした「国のための尊い犠牲者」の部類に入る、と言うつもりはないが、根っこの部分はつながっている。イギリスではエリートは、人々に大きな犠牲を強いている時に自分を甘やかしたりはしない。イギリスの首相にとって、国民の命を守るよう医師や看護師を働かせながら、自分は安全にデスクにとどまることなどあり得ない。医療従事者が身につけていないのに首相がPPE(個人防護具)フル装備で対応することもあり得ない。

ジョンソンが病院を訪れ、コロナの治療に当たる医療スタッフを激励し、握手をしていたのはたぶん、あまり賢いやり方ではなかっただろう。感染後に仕事を続けていたのも勇敢とは言い難い(無謀とも無責任とも言えるし、実際多くの人にそう言われた)。だが他国ではなくイギリスでこうなったこと、そして複数の閣僚まで感染したことは、いかにもイギリス人的だ。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

EU加盟国、トランプ次期米政権が新関税発動なら協調

ビジネス

経済対策、事業規模39兆円程度 補正予算の一般会計

ワールド

メキシコ大統領、強制送還移民受け入れの用意 トラン

ビジネス

Temuの中国PDD、第3四半期は売上高と利益が予
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対する中国人と日本人の反応が違う
  • 2
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 5
    【ヨルダン王室】生後3カ月のイマン王女、早くもサッ…
  • 6
    元幼稚園教諭の女性兵士がロシアの巡航ミサイル「Kh-…
  • 7
    NewJeans生みの親ミン・ヒジン、インスタフォローをす…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 10
    ウクライナ軍、ロシア領内の兵器庫攻撃に「ATACMSを…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査を受けたら...衝撃的な結果に「謎が解けた」
  • 3
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り捨てる」しかない理由
  • 4
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    アインシュタイン理論にズレ? 宇宙膨張が示す新たな…
  • 7
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 8
    クルスク州の戦場はロシア兵の「肉挽き機」に...ロシ…
  • 9
    沖縄ではマーガリンを「バター」と呼び、味噌汁はも…
  • 10
    メーガン妃が「輝きを失った瞬間」が話題に...その時…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大きな身体を「丸呑み」する衝撃シーンの撮影に成功
  • 4
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 5
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 6
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 7
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 8
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 9
    モスクワで高層ビルより高い「糞水(ふんすい)」噴…
  • 10
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story