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なぜドイツで極右AfDが躍進しているのか──5つの理由と、東側ブロック崩壊35年で「反動の時代」
さらに、西ドイツでは、1968年の若者の革命(ヒッピー&フラワー・ムーブメントの潮流)の後に、多文化主義などあらゆる思想が持ち込まれたが、東ドイツは抵抗をした。そのために、自分たちはより純粋なドイツ人であるという、根深い人種差別的な考え方があるという。英『ガーディアン』による旧東独生まれの歴史家クリスティーナ・モリーナ氏への取材記事で指摘されている。
そんな東ドイツ地域の人々にとって、安全への不安と、移民、グローバル化、そして国家アイデンティティの喪失への恐れは密接に結びついていると、『ニューラインズ』のティム・ブリンクホフ氏は説明している。これが前述の「恐怖」の意味ではないだろうか。
また、同地はナチスに対して、歴史的に西側と異なった見解をもってきたことも重要だろう。
ドイツ民主共和国の非ナチ化キャンペーンは、多くの点で西側諸国のキャンペーンよりも徹底していた。しかし、ナチズムは主に西ドイツの現象とされていた。東ドイツの政権は常に、ファシズムの過去を「自分たちが築いた社会主義国家とは別物で、外部化されたもの」として扱っていたと、ゲルフ大学のドイツ史教授アラン・マクドゥーガル氏は言う。
東ドイツ政府はあまりにも公に反ファシズムを声高に主張し、資本主義国である西ドイツをヒトラーの後継者として悪魔化していたので、80年代の東ドイツの若者の中には、その考えを払いのける人たちがいた。子供に「これをやるな」と言うと、逆に興味をもつのと同じだと説明する。
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