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日本学術会議問題を「総合的俯瞰的に」考察して浮かび上がった、菅総理の驕り
新型コロナ対策をみても、経済活動全体に責任を持つ政治家と、科学的に正しい分析について提言を行う学者の立場は往々にして摩擦が起きる。
学者の学問が真理の探究にかかわり人類文化にとって意義あるものでありながら、その批判的性格ゆえに時の権力による干渉を受けやすい。滝川事件(1933年)や天皇機関説事件(1935年)のように直接国家権力によって学問の自由が侵害された歴史があることから、戦後の憲法では特にその自律性を尊重すべく第23条において「学問の自由」が規定されている。
現実的な「普通の国」か理想的な「特別の国」か
もう一つ、戦後日本に特有なキーワードが、憲法9条を巡る議論に象徴される現実的な「普通の国」か理想的な「特別の国」か、の対立構造だ。
我々が現行憲法とそれに基づく国家体制のもとで当然と思っていることが世界的にはかなり「特別な事」だったりする。
日本国憲法では、憲法9条1項で戦争・武力行使が禁じられ、9条2項では「軍」の編成と「戦力」不保持が規定されている。他国に攻められた時の「個別的自衛権」すら憲法の条文に反するという学者もいる国だ。
本来であれば、自衛権を明確に9条を改正して、一部の自民党議員が言うように「国防軍」として憲法で明確に定義すべきだろう。
ただし、日米安全保障条約と、それとセットの日米地位協定によって、実質的にアメリカの核の傘と在日米軍の存在により国防と平和主義を絶妙なバランスで維持してきたのが我々の戦後社会だ。この曖昧な平和憲法の9条によって、徴兵制もなく、軍事予算も米国等と比較して押さえられており、日本は戦後1人の戦死者も関連犠牲者も国の内外共に出していない。そして世界最強のパスポートを持つ日本人は各国で歓迎され、テロの対象になるリスクが相対的に少ない。これも、このあいまいな憲法9条下の戦後日本外交の成果でもある。
そうしたなか2015年、安倍政権は米国との安全保障体制を維持するために米国の要望する集団的自衛権の行使を実現に踏み切った。本来は憲法を改正して国民に判断を仰ぐべきところ、そのハードルが高いとの状況判断のなか内閣法制局長官の人事を強引に変え、「解釈変更」で押し切った。
一国平和主義が困難になり、中国や北朝鮮といった軍事的脅威が現実的に迫ってくる。そうした環境変化の中、ファイブアイズ等の機密情報を共有する枠組み等国際的な安全保障体制に日本が参加する必要がある。その為に集団的自衛権の安保法制や、それとともに議論された共謀罪、秘密保護法等は、必要なものであったと個人的には理解している。
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