アルゼンチンと、タンゴな人々
「タンゴの破壊者」アストル・ピアソラ生誕100周年
タンゴのことはよく知らない、という方でも、この名前は聞いたことがあるかもしれません。
「アストル・ピアソラ」。
2021年3月は、「アルゼンチンタンゴの革命児」などと呼ばれるこの人物、音楽家アストル・ピアソラの生誕100周年にあたります。
時が経っても彼の素晴らしい作品たちは色褪せることなく、今でも世界中で演奏され続けています。
そして今年は記念の年ということでアルゼンチンだけでなく世界中で、もちろん日本でも、沢山のアストル・ピアソラのオマージュコンサートが予定されています。作品とともに沢山のエピソードが語り継がれているので、記録に残されている彼の発言(拙訳)と音源から、その人物像や背景を紹介していきたいと思います。
アストル・ピアソラは、1921年にアルゼンチンで生まれた作曲家・バンドネオン奏者です。
バンドネオンって何?という方もいらっしゃると思いますが、ここでは言葉を並べるよりも、まずは彼を代表する音楽を。
「タンゴ」というと、なんだか古臭い、または黒猫のタンゴやだんご三兄弟のようなコミカルなものをイメージされる方も多いかと思いますが、ピアソラの作品はそのようなイメージを全く与えません。クラシック界でもヨーヨー・マやギドン・クレーメルが取り上げたことにより、今日クラシックのコンサートなどで作品が取り上げられることも少なくありません。その作風を一言でわかりやすく表すなら、タンゴ×クラシック×ジャズの要素を取り込んだ現代音楽、と言えるでしょう。
当時その作風はタンゴとしては奇抜であったことから「タンゴの破壊者」と呼ばれ、保守的であった沢山のタンゴファンはピアソラのタンゴを受け付けませんでした。それまでのタンゴにはなかった新しい試み、例えば積極的にジャズミュージシャンをグループのメンバーに入れたり、クラシックギターの代わりにエレキギターを使ったりしていたのです。たちまち、「そんなのタンゴじゃない!」と批判の対象になりました。
ピアソラはそんな人たちに向けてこのように言い放っています。
「ああ、その通りだ。私はタンゴの敵だろう。でも、タンゴは私を理解しているはずだ。
私を批判する人たちは、タンゴの過去の栄光や幻想の世界に浸っているだけなのだ。もしも時代が変化しているとしたら、アルゼンチンの音楽もそれと共に変化しなくてはならないだろう。
私は、過去から脱却し、彼らが留まっている場所から先に進む。たとえ、理解できずに文句を言い続ける人がいようともね。」
(Revista Antena, Buenos Aires, 1954 より)
そんな彼の作品の多くには、バイオレンス、攻撃的、葛藤、などという言葉で形容できるような部分が多く現れます。さらにアルゼンチン人が日常的に多用する言葉を追加するならば、
"Bronca(ブロンカ)=不機嫌、怒り"、
"Quilombo(キロンボ)=混乱、めちゃくちゃな様子"
などという言葉がぴったりあてはまります。
私は、そんなピアソラの音楽を聴き始めてから、"なぜこの人はこんなに怒っているんだろう"、とずっと思っていました。
それが、この町で生活する中で、物凄く腑に落ちた瞬間があります。
著者プロフィール
- 西原なつき
バンドネオン奏者。"悪魔の楽器"と呼ばれるその独特の音色に、雷に打たれたような衝撃を受け22歳で楽器を始める。2年後の2014年よりブエノスアイレス在住。同市立タンゴ学校オーケストラを卒業後、タンゴショーや様々なプロジェクトでの演奏、また作編曲家としても活動する。現地でも珍しいバンドネオン弾き語りにも挑戦するなど、アルゼンチンタンゴの真髄に近づくべく、修行中。
Webサイト:Mi bandoneon y yo
Instagram :@natsuki_nishihara
Twitter:@bandoneona