コラム

アメリカの熾烈な競争が垣間見える、グルメ版『プラダを着た悪魔』

2015年12月24日(木)18時00分

 有名レストランのコート係は、レストランのすべてを裏舞台で学ぶことができる素晴らしい機会なのだが、ティナはキャリア競争に取り残されたと信じて焦る。そんなとき、敵視していたマイケルがティナの働くレストランに現れる。実はマイケルは病気で味覚を失っていて、レストラン評論家としての生命を失う危機に直面していたのだ。

 学生時代から大学の料理出版物で活躍していたティナの味覚とライターとしての能力に注目していたマイケルは、あることを提案する。高級レストランで彼と一緒に食事をし、その感想を伝えてくれというのだ。こうした高級レストランは、ティナや彼女のボーイフレンドの収入ではとても行けない場所ばかりだ。味への貪欲な好奇心と、ニューヨーク・タイムズ紙の評論家から直接学べるという魅力から、ティナはこの「悪魔に魂を売る」仕事を引き受けてしまう。

 著者のトムによると「Food Whore」とは「A person who will do anything for food.(食べ物のためなら何でもする人)」を意味する。小説の中でティナはこの「Food Whore」に成り下がってしまうのだが、そのあたりは『プラダを着た悪魔』の主人公アンドレアとよく似ている。ファッション業界も普通の人にとっては異様な世界だが、グルメ業界も突き詰めるとその異様さはひけを取らない。

 以前、cakes(ケイクス)でも書いたが、フランスでは「ミシュランの星を一つ失うのではないか」という噂だけで悩んで自殺したシェフもいるくらいで、マンハッタンではニューヨーク・タイムズ紙のレストランレビューが恐れられている。

 星を失えば、名誉を失うだけでなく、一晩に何千ドルも費やしてくれる上客を失い、仕事も失いかねない。 だから、高級レストランは覆面で来るレビュワーを毎晩恐れている。

 料理評論家やレストラン評論家はこのように、食べ物を生み出すシェフの運命を動かす神のような存在だ。その神が人々を操ろうとしたら、どうなるのか?

『Food Whore』の面白さは、こうしたグルメ業界の裏側を描いているところだ。著者のトムが、主人公のティナと似たような体験をしてきているグルメだからか、私がファッションより食べ物の方が好きなせいだからか、私にとっては『プラダを着た悪魔』より面白かった。

 ただし日本の読者には、主人公のティナが野心満々で自己中心的すぎるのが気に入らないかもしれない。また、何度も悪い選択をするのに、さほどのツケを払っているような気がしない。挫折はするのだが、傷が浅いうちに立ち直る希望が見えるエンディングは、ちょっと甘すぎると感じた。

 しかし、この小説の神髄は別のところにあるのではないかと私は思っている。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米農務長官にロリンズ氏、保守系シンクタンク所長

ワールド

COP29、年3000億ドルの途上国支援で合意 不

ワールド

アングル:またトランプ氏を過小評価、米世論調査の解

ワールド

アングル:南米の環境保護、アマゾンに集中 砂漠や草
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 2
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 3
    「このまま全員死ぬんだ...」巨大な部品が外されたまま飛行機が離陸体勢に...窓から女性が撮影した映像にネット震撼
  • 4
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 5
    「ダイエット成功」3つの戦略...「食事内容」ではな…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    ロシア西部「弾薬庫」への攻撃で起きたのは、戦争が…
  • 8
    クルスク州のロシア軍司令部をウクライナがミサイル…
  • 9
    「何も見えない」...大雨の日に飛行機を着陸させる「…
  • 10
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 3
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査を受けたら...衝撃的な結果に「謎が解けた」
  • 4
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 5
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 8
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 9
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 10
    メーガン妃が「輝きを失った瞬間」が話題に...その時…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大き…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 7
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 8
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 9
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 10
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story