笹子峠越え 甲州街道の歴史が凝縮した「最大の難所」を歩く
◆「歩き旅」初の敗退
さて、「笹子隧道」を抜ければ、そこはもう反対側の国中地方になるのだが、僕たちはトンネル手前から本格的な登山道に入り、尾根伝いに国中に下りるコースを取った。比較的マイナーな山域ということもあり、この山道がなかなかキツイ。鎖を伝ってようやく登れる斜面や、崖下に向かって傾斜がある狭い道が続く。第一のピーク、笹子雁ヶ腹摺山の山頂に着いたのは、出発から4時間半ほど経った午後1時30分であった。
スタートが午前9時半と遅かったこと、写真を撮りながらのゆっくりペースだったことが響いて、予定のコースでは日没までに下山できる確信が持てなくなった。そのため、僕はこの旅で初めて「引き返す」という決断をした。山頂でゆっくり休憩してから、旧笹子隧道の手前まで戻り、仲間があらかじめ下調べをしておいたエスケープルートで下山することにしたのだ。
ただし、せっかくここまで来たのだから、引き返す前に雁ヶ腹摺山山頂の少し先にあるはずの、中央自動車道笹子トンネルの直上地点まで僕とパーティーのリーダーの2人だけで足を伸ばすことにした。その場所は、息も絶え絶えになるほどの急斜面の途中という、とても中途半端な場所であった。だがしかし、そういうリアルな現実を味わう体験は嫌いではない。
◆現役の昭和初期の鉄塔
笹子雁ヶ腹摺山周辺の尾根道は、ヤマツツジやヤマザクラが咲く手付かずの自然の景観が素晴らしい。その一方で、日本の景観のあちこちに顔を出す鉄塔群がここでも幅をきかせていた。僕らが下山ルートにしたエスケープルートも、本来は鉄塔の巡視路である。鉄塔は、一般的な視点では自然の中では無粋な異物に映るが、僕は決して嫌いではない。特に、本連載の読者から勧められた世界唯一の鉄塔小説、『鉄塔武蔵野線』(銀林みのる)を読んでからは、むしろすっかり鉄塔の虜になってしまった。
その巡視路沿いの小ぶりな鉄塔群は、カカシを彷彿とさせるこれまたかわいい形をしていた。プレートを見ると、JR東日本の「大勝線(大月--勝沼)」とある。建設年はなんと昭和5年。平成27年に再塗装されたことを示すラベルもあったが、昭和初期の姿のまま、今も鉄道施設に電力を送る現役の鉄塔群である。「此の地を過ぐる者をして絶無ならしめ」た現代の笹子峠にあって、昭和初期の昔から現役を保っている存在だと思うと、なんだか嬉しくなった。
ところどころ荒れた巡視路をひたすら2時間ほど下ると、眼前に畑が出現した。その人里との境界は、鹿よけの電気柵で仕切られていた。今、日本の多くの中山間地では、鹿が爆発的に増えて農作物の食害が大きな問題になっている。このテーマについては、この先の旅の過程でまた掘り下げていきたい。
甲斐大和駅手前の日影集落で、軽トラックで帰宅してきたお年寄りのグループに行き合った。旧甲州街道のハイキングコースで、採れたての山菜とジンギスカンの鍋パーティーをしてきたところだという。最近、有志で旧甲州街道の整備のボランティアもしたとのこと。だから、僕たちがあえてそちらを通らずに鉄塔の巡視路から下りてきたことを残念がっていたが、こういう人たちの目に見えない善意が僕らのような旅人の思い出を演出しているのだと思うと、結構ジーンと来るものがあった。
次回は、ぶどう畑が広がる勝沼の丘を目指して、甲斐大和駅から再出発する。
今回の行程:笹子駅--甲斐大和駅(https://yamap.com/activities/3623656)※リンク先に沿道で撮影した全写真・詳細地図あり
・歩行距離=13.7km
・歩行時間=8時間46分
・高低差=762m
・累積上り/下り=1,062m/1,043m
この筆者のコラム
輝く日本海に新時代の幕開けを予感して 2021.10.04
国石「ヒスイ」が生まれる東西日本の境界を歩く 2021.09.17
旧道からの県境越えで出会った「廃墟・廃道・廃大仏」 2021.08.26
「五輪」の節目に、北アルプスで若者の希望と没落の象徴をみる 2021.08.02
長野五輪の栄光のモニュメントを目指して オリンピック・イヤーに想う日本の未来 2021.06.15
美しい山岳風景、地方からの没落をひしひしと感じる 2021.04.23
『窓ぎわのトットちゃん』の楽園で、「徒歩の旅」の先人に出会う 2021.03.11