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ビル・クリントンが書いたサイバー攻撃をテーマとした小説『大統領失踪』
実際に起きたことを積み上げ、その先にあり得るストーリーを積み上げている点では、サイバー攻撃による欧州連合(EU)崩壊という最悪のシナリオを描いて見せたマルク・エルスベルグの『ブラック・アウト』(角川文庫、2012年)と並び、サイバー攻撃が実際に何をもたらすのか考えるための素材としても役に立つ。本書のようなドラマチックな展開があるかどうかは別として、こうしたサイバー攻撃が実際に企図される可能性は十分にある。米国政府でサイバーセキュリティの最前線に立っていた軍人は、「想像できることは実現可能だと思ったほうが良い」と私に語ってくれたことがある。
元大統領の告発
そして、本書は単にサイバー攻撃小説というだけでなく、元米国大統領という当事者が、小説という形を借りて社会に投げかけた告発という側面もある。ビル・クリントンの妻、ヒラリー・クリントンは女性候補として初の大統領選挙本選に挑んだが、トランプに敗れた。その結果を左右したと考えられているのが、ロシアによる介入であった。ヒラリー・クリントンや民主党全国委員会に関連する電子メールが暴露され、偽ニュースがソーシャル・メディアに流された。他国の国民の頭の中を外国の政府機関がかき回したようなものである。
2016年の大統領選挙より一年も前から米国政府はロシアの介入に気づいていたが、ヒラリー勝利を信じていたオバマ大統領は公表しなかった。しかし、選挙結果に驚いた大統領は、選挙翌月の国家安全保障会議で中央情報局(CIA)、国家安全保障局(NSA)、連邦捜査局(FBI)という三つの米国の主要インテリジェンス機関に対し、総力を挙げてロシアが何をやったのか一つの報告書をまとめるように指示した。
できあがった報告書は、これまで米国のインテリジェンス機関が作成した中で最も重要な画期的成果だと評価されている。一般に公表されたのは生の証拠を削った要約版であり、我々は実際に何が起きたのかを知ることはできないが、おそらく元大統領であるビル・クリントンは知らされているのだろう。
ビル・クリントンは本書の中で、政権内で起きる政治的駆け引き、米国の党派的な政治、奇妙な選挙制度、マスコミの偏向、よりいっそう偏向するソーシャル・メディアの台頭、他国が仕掛けるサイバー攻撃に脆弱な米国社会など、さまざまな問題点を指摘している。世界で最も権力を持つと考えられている米国大統領は本来の業務になかなか集中できない。
作中でダンカン大統領は「わたしが大統領に立候補したのは、この忌むべき流れを変えたかったからだ」といっている。変化を掲げて当選したビル・クリントン大統領は、2期8年の任期を終えることができたが、やり残した課題を妻のヒラリー・クリントンに託したかったのだろう。それがかなわなかったいらだちがこの作品に込められていると見るのは考えすぎだろうか。本書の最後で、なるほど、悪役はあいつらかとニヤッとさせられる。この小説はクリントン夫妻の強烈な意趣返しなのだ。
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