コラム

ビル・クリントンが書いたサイバー攻撃をテーマとした小説『大統領失踪』

2018年11月07日(水)19時30分

米軍も攻撃されるばかりではない。2010年に米国とイスラエルが共同でイランの核施設を狙ったとされるスタックスネット攻撃が明るみに出た。それへの報復としてイランは、翌年から米国の金融機関複数を執拗に攻撃し、JPモルガン・チェースの7600万の顧客口座が影響を受けたとされている。

2014年11月には、米国の映画会社ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントがサイバー攻撃を受けたことが明らかになった。原因は同社が公開しようとしていた映画『インタビュー』だとされている。この映画で北朝鮮の指導者金正恩がコミカルに描かれたことに腹を立てた北朝鮮政府が、外国の一民間企業に攻撃を仕掛け、同社の機密情報が漏洩するという前代未聞の事態になった。

2015年5月には、米国政府職員の人事情報を扱う人事局(OPM)のデータがサイバー攻撃によって漏洩した。その規模は2150万件に上り、悪用されれば政府職員を脅迫することもできる機微な情報が含まれていたため、外国の大使館から米国人外交官が本国に呼び戻されるということにもなった。この事件には中国の関与が疑われている。

こうした世界規模のサイバー戦の現状を踏まえ、米国が、不正侵入や情報窃盗どころではなく、破壊的なサイバー攻撃を受けたらどうなるのかシミュレーションしたのが本書である。インターネットやスマートフォン(スマホ)といった情報技術(IT)は米国経済にとっては不可欠になっている。独立(インディペンデンス)を強く志向する米国人たちが、ITに依存(ディペンデンス)してしまっている以上、サイバー攻撃による被害は国の存立自体を脅かしかねない。

苦悩し、いらだつ大統領

米国大統領は世界で最も権力を持っているといわれる。それは世界最強と目されている米軍の最高司令官だからであろう。しかし、国内政治に目を向ければ、大統領はさまざまな課題に日夜翻弄されている。そして大統領はしばしば、すべてを国民に明かすことができない事態にも陥る。

本書における米国大統領の苦悩は、元大統領だからこそ分かるリアリティを持って描かれている。それは、気にくわないニュースは「偽ニュース!」の一言で片付けてしまうトランプ大統領への皮肉にも見える。

もうひとつ、本書を読みながら気になるのは、米国の敵は誰なのかという点とともに、米国の味方は誰なのかという点である。残念ながら、日本はほとんど出てこない。日米経済摩擦で激しいつばぜり合いを繰り広げた日本を、クリントン元大統領は心情的に親密な同盟国と考えていないのかもしれない。それでは、米国の心情的な同盟国はどこなのか。その点を気にしながら読んでみるのもおもしろい。

本書にはこれまで実際に行われたサイバー攻撃も取り入れられている。たとえば、レーガン大統領が映画『ウォーゲーム』を観た1983年の前年にあたる1982年、ソ連のシベリアでパイプラインが大爆発を起こした。米国が意図的に不正なソフトウェアをソ連につかませることに成功したからである。これは世界最初のサイバー攻撃といって良いだろう。この事件は、当事者が残した機密資料に基づいて書かれた本(Thomas C. ReedによるAt the Abyss : An Insider's History of the Cold War)が唯一の情報源だったが、レーガン政権時代のホワイトハウスに勤めていたスタッフに改めて確認したところ、彼は事実だと確認してくれた。クリントン元大統領も事実だと知っていて作中で引用したのだろう。

本書の謝辞の最後には安全保障と対テロリズムのアドバイザーとして4人の大統領に仕えたリチャード・クラークの名前が挙げられている。彼はロバート・ネイクとの共著『世界サイバー戦争』(徳間書店、2011年)でいち早くサイバー攻撃の危険性を指摘したホワイトハウスの元スタッフである。こうした協力者のアドバイスが本書をよりおもしろくしている。

プロフィール

土屋大洋

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授。国際大学グローバル・コミュニティセンター主任研究員などを経て2011年より現職。主な著書に『サイバーテロ 日米vs.中国』(文春新書、2012年)、『サイバーセキュリティと国際政治』(千倉書房、2015年)、『暴露の世紀 国家を揺るがすサイバーテロリズム』(角川新書、2016年)などがある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ロシア前大統領、ウクライナのEU加盟に警戒感

ワールド

ロシアがウクライナに断続的空襲、ハルキウで死傷者

ビジネス

訂正(1日配信記事)-〔兜町ウオッチャー〕日経平均

ワールド

再送-日英伊の次期戦闘機共同開発に向けた契約締結、
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本企業に迫る サステナビリティ新基準
特集:日本企業に迫る サステナビリティ新基準
2026年4月 7日号(3/31発売)

国際基準の情報開示や多様な認証制度──本当の「持続可能性」が問われる時代へ

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    なぜイスラエルは対イラン戦争を支持するのか...「イラン恐怖」の正体
  • 2
    攻撃開始日も知っていた?──イラン戦争を巡る巨額取引、インサイダー疑惑が市場に波紋
  • 3
    年金は何歳からもらうのが得? 男女で違う「最適な受給年齢」
  • 4
    破産申請の理由の4割以上が「関税コスト」...トラン…
  • 5
    血圧やコレステロール値より重要?死亡リスクを予測…
  • 6
    満を持して行われたトランプの演説は「期待外れ」...…
  • 7
    イラン戦争の現実...アメリカとイスラエル、見え始め…
  • 8
    人口減の自治体を救う「小さな浄水場」──誰もが常に…
  • 9
    日本の男女の賃金格差は世界でも突出して大きい
  • 10
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅…
  • 1
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅」企業が救う、ウクライナの未来
  • 2
    「水に流す」日本と「記憶する」韓国...気候と地理が育んだ「国民意識の違い」とは?
  • 3
    ヘンリー・メーガン夫妻の豪州訪問に3万6000人超の反対署名...「歓迎してない」の声広がる
  • 4
    攻撃開始日も知っていた?──イラン戦争を巡る巨額取引…
  • 5
    記憶を定着させるのに年齢は関係ない...記憶の定着度…
  • 6
    ロシア経済を支える重要な港、ウクライナのものと思…
  • 7
    なぜイスラエルは対イラン戦争を支持するのか...「イ…
  • 8
    映画『8番出口』はアメリカでどう受け止められた?..…
  • 9
    中国最大の海運会社COSCOがペルシャ湾輸送を再開──緊…
  • 10
    オランウータンに「15分間ロックオン」された女性のS…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 3
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅」企業が救う、ウクライナの未来
  • 4
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...…
  • 5
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 6
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 7
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 8
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 9
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 10
    メーガン妃、娘リリベット王女との「お手伝い姿」公…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story