コラム

サイバー攻撃を押しとどめる抑止理論はまだ見つからない

2017年09月20日(水)11時15分

サイバーGGE(政府専門家会合)の失敗

サイバーセキュリティのための新しい抑止や軍縮を検討する場として、国連総会第一委員会の下にサイバーGGE(政府専門家会合)が設置されてきた(本コラムでも取り上げたことがある)。ところが、今夏に発表予定だった報告書案は取り下げられ、サイバーGGEは合意作りに失敗してしまった。

これまでの5回に渡って開かれてきたサイバーGGEを主導してきたのはロシアだった。ロシアはかつての核ミサイル時代のような合意が米国との間で結ばれることを望んでいたのかもしれない。中国は、ロシアほどではないが、サイバーGGEには前向きだった。中国のサイバー政策は、検閲やプライバシー侵害といった点で欧米からの批判を受けることが多く、サイバーGGEとその先にある条約によって国内政策を正当化したいという思惑があったと考えられている。

しかし、日本政府も参加して今夏の報告書発表に向けて努力してきたサイバーGGEは、キューバなど一部途上国の強い反対によって合意が得られなかった。実質的に米ソだけで決められた核ミサイル時代の抑止は、アクターが分散し、多様化するサイバーセキュリティの世界では成り立ちにくいことを改めて印象づけることになった。

サイバーGGE不成立を受けて、欧州安全保障協力機構(OSCE)やASEAN地域フォーラム(ARF)といった地域機構がサイバーセキュリティに関する協議に意欲を示し始めている。

北朝鮮は理論を理解しているか

北朝鮮は、核ミサイルの抑止理論、サイバーセキュリティの抑止理論を理解しているのだろうか。無論、サイバーセキュリティの抑止理論は学問の世界においても実務の世界においても固まっているとはとうてい言えない。

北朝鮮の核やミサイルはまだ実験段階だが、サイバー攻撃はすでに何度も実行されている。国際法上の武力行使に当たるレベルの本格的な「サイバー攻撃」は実際にはほとんどなく、サイバー犯罪やサイバー作戦程度のものであるとしても、もはや躊躇しなくなっている。

ソウル防衛対話が開かれる数日前にあたる9月3日、北朝鮮の国営通信社である朝鮮中央通信は、北朝鮮がEMP攻撃を加えられる核弾頭を開発したと報じた。EMP攻撃が行われると、インフラや通信機器が機能不全に陥り、電力供給や交通網といった重要インフラストラクチャが混乱する恐れがある。

【参考記事】電子戦再考:米陸軍で「サイバー電磁活動」の検討が始まっている

EMP攻撃はサイバー攻撃とはやや異なる電子戦の領域になるが、もはやそうした区分をしてもそれほど意味はないだろう。というのも、構築途中のサイバー抑止理論において考慮しなくてはならないのは、第一に、実際の戦争においてはサイバー攻撃だけ独立して行われることはほとんどなく、物理的な攻撃や心理戦と組み合わされる。

つまり、ハイブリッド攻撃やクロスドメイン攻撃が用いられるということである。そして、第二に、地球の裏側の関係ないターゲットが狙われるのではなく、地政学的・地経学的な緊張関係にあるターゲットが狙われるということである。

【参考記事】クロスドメイン(領域横断)攻撃は、戦闘を第二次世界大戦時に立ち戻らせる

国際政治学の理論構築は、多くの場合は現実の後追いになる。核ミサイル抑止の世界は理論が先行しためずらしい領域である。サイバーセキュリティもまた後追いになるのか、あるいは深刻なサイバー攻撃を抑止する理論が築けるか、多くの研究者が頭を悩ませている。

プロフィール

土屋大洋

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授。国際大学グローバル・コミュニティセンター主任研究員などを経て2011年より現職。主な著書に『サイバーテロ 日米vs.中国』(文春新書、2012年)、『サイバーセキュリティと国際政治』(千倉書房、2015年)、『暴露の世紀 国家を揺るがすサイバーテロリズム』(角川新書、2016年)などがある。

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