百田尚樹と「つくる会」、モンスターを生み出したメディアの責任 石戸諭氏に聞く
ファクトチェックと論破の危うさは90年代よりもむしろSNS時代の今にもつながってくる。僕も含めて人間は自分たちが正しいファクトを知っており、チェックする側に立っていると思ったとき、しばしば正しいことを主張すれば相手の考えは変えられる、という態度をとってしまう。
だが指摘された側は意固地になるし、対話のチャンネルも閉ざされ、指摘された側はより極化していくことがこの本の読んでもらえば分かると思う。みんな何かしら自分が正しくありたいという気持ちはあるのだろうが、それで人を説得できると思ったら大間違いであり、分断を超えていくために理解していこうとする姿勢も大切だということだ。
――石戸さんのアプローチは、ある意味で「対話」だと思う。
そうかもしれない。論破には可能性はないけれど、相手から何が見えているかを探ることには可能性がある。僕たちの業界でも「正しさ」で相手を論破しよう、社会を動かそうという傾向が強いように感じる。
だがそれは本来、運動家の仕事であって、ライターの仕事は安易に断罪せず、人、社会や時代を描くことだと僕は思う。日本に限っても、ノンフィクションの先人たちによる優れた仕事が残されている。僕はその伝統に連なりたいと思った。
少し言い換えれば、「自分で相手の靴を履いてみること」の可能性を提示したいと思って書いたので、ぜひ関心を持った人に読んでほしい。
『ルポ 百田尚樹現象――愛国ポピュリズムの現在地』
石戸 諭・著
小学館
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石戸 諭(いしど・さとる)
記者/ノンフィクションライター。1984年生まれ、東京都出身。立命館大学卒業後、毎日新聞などを経て2018 年に独立。著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)が読売新聞「2017年の3冊」に選出される。2019年より東京大学非常勤講師。本誌の特集「百田尚樹現象」で、2020年の「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を受賞。本誌でコラム『本好きに捧げる ホメない書評』連載中。
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