「絵文字」を発明したのは、デザイナーでなく哲学者だった
『社会と経済――図像統計入門書』より「世界の大国」。これを通じてシンボルの標準化、地図表現の標準化、色彩やレイアウトのルールづくりが進み、「アイソタイプ」のベースが完成した。『Pen Books 名作の100年 グラフィックの天才たち。』より
<グラフィック・デザインの一種であるピクトグラムはいつ、いかにして生まれたか>
トイレや駐車場の場所を示すなど、簡素化された絵だけで情報を伝達するピクトグラム(「絵文字」とも呼ばれる)。グラフィック・デザインの一種だが、実は発明したのはデザイナーではない。
時は1920年代。原型となった「アイソタイプ」を開発したのは、哲学者であり社会学者、政治経済学者でもあったオットー・ノイラートだ。当時、素早く情報を伝達すること以外にも目的があったという。
【参考記事】日本のおもてなしは「ピクトグラム」に頼り過ぎ
今日、社会・経済のあらゆる面において、デザインの重要性が増している。だからこそ、グラフィック・デザインにどのような力があるのか、知っておいて損はないはずだ。そして、そのためには歴史を振り返ることも重要である。
『Pen BOOKS 名作の100年 グラフィックの天才たち。』(ペン編集部・編、CCCメディアハウス)では、20世紀の巨匠10人の思想と作品を取り上げている。ノイラートもその1人だ。
ほかにも、原 研哉氏の「グラフィック論」や、大阪芸術大学・三木 健教授の人気講座"APPLE"、現在活躍中のクリエイターなどを紹介した本書から、一部を抜粋し、4回に分けて転載する。第2回は「グラフィックの100年を動かした、巨匠10人の軌跡。」より、アートディレクターの廣村正彰氏が語るオットー・ノイラートの功績について。
※第1回:この赤い丸がグラフィック・デザインの力、と原研哉は言う
オットー・ノイラート Otto Neurath 1882-1945
哲学者、社会学者、政治経済学者
ウィーン生まれ。統計情報を視覚化するプロジェクトや、読み書きのできない人々に複雑な社会経済の事実を伝える「社会経済博物館」のプロジェクトを通じて視覚教育の研究へ。イラストレーターのゲルト・アルンツやマリー・ライデマイスターとともに絵言葉「アイソタイプ」を開発。ウィーン学団の指導的人物のひとり。
オットー・ノイラート(語り手:廣村正彰)
誰もが理解できる、ピクトグラムを発明。
日常のあちこちで使われているピクトグラムやサイン。「絵文字」とも呼ばれるこうした視覚言語の原型となった「アイソタイプ」を、1920年代に開発したのが、哲学者、社会学者、および政治経済学者のオットー・ノイラートだ。
開発当初は、現在のピクトグラムのように素早く情報を伝達すること以上に、戦争のせいで教育を受けられなかったウィーンの労働者や、言葉がわからない移民に、複雑な社会経済を教育することを目的としていた。
「ノイラートは、情報の新しい視覚化の手法を提示した存在です。言葉は学習しなければ理解できませんが、この絵言葉なら視覚さえあれば、年齢や国籍を問わず、誰にでも理解できます」
どこでも目にする棒線画も、現代では当たり前になった案内図や路線図も、元をたどればすべてアイソタイプに行き着くと廣村正彰さんは言う。どちらも雑多な情報を簡易にまとめたことで、ぐっと伝達力を高めている。
「人の脳は何かを記憶する時に、瞬時に物体の色やマテリアル、面の情報を省き、アウトラインという小さな情報だけを脳の引き出しにしまうもの。そうして複雑なものを簡略化して理解を深めたり早めたりする。円と棒線で人間を表現することは、人々の理解のシステムに適っているのでしょうね」