日本のおもてなしは「ピクトグラム」に頼り過ぎ
<実は日本は案内用図記号(ピクトグラム)の先進国。独自の進化を遂げ、世界にも影響を与えてきた。いま、観光需要の増加に対応するため、一部のピクトグラムを見直そうと政府が音頭を取っているが、英語能力の低さはそのままでよいのか>
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湯船から立ち上る3本の曲線。日本人ならおそらく目にしたことがあるであろう、「温泉」を意味する案内用図記号(ピクトグラム)だ。昨夏から、このお馴染みの温泉を含めたピクトグラムの「リニューアル」が取り沙汰されてきた。
JIS(日本工業規格)で統一規格となっている案内用のピクトグラムは、現在136種類。今年3月には、経済産業省がパブリックコメントを含めた意見を集約し、7種類のピクトグラムに対し修正案を提示している。
背景にあるのは、直前に迫った2020年の東京五輪の存在、そしてここ数年で「爆増」している外国人観光客の伸びだ。2020年に向け、まだ勢いが衰えていない海外からの観光需要を受け、「おもてなし」の一環としてピクトグラムを見直そうという議論が出てきている。
そもそも欧州発祥とされるピクトグラム。日本でも見られるようになったのは、20世紀半ば以降のことだ。だが、いまや上記の温泉はもちろんのこと、「トイレ」「改札口」「インフォメーションセンター」「エスカレーター」など、目にする場所は空港や駅などの主要ターミナルにとどまらない。ピクトグラムのない観光地や商業施設を見つけるほうが難しいと言っても過言ではないほど、普及が進んでいる。
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ピクトグラム自体は輸入されたアイデアだが、中国からもたらされた漢字同様、国内で消化して独自の進化を遂げた「文化」とも言える。そしてその歴史は、半世紀以上前に開催された1964年東京オリンピックまで遡る。
当時の日本は戦後復興が進んでいたとはいえ、高度成長期へようやくさしかかったばかりの段階だった。海外への旅行者が少ないのはもちろん、日本に訪れる外国人も限られていた。
1960年の訪日外国人数はわずか15万人ほど。外国人自体が珍しいだけでなく、英語を含めた外国語を話せる人材も少ない。そこに出場選手やスタッフ、応援に来る関係者など100カ国近い国々から一挙に外国人がやってくる状況となってしまった。
そこで、東京オリンピックのデザイン専門委員会が主導し、競技種目ごとの内容を盛り込んだもの、あるいはトイレや公衆電話といった公共施設や設備を示すピクトグラムが考案された。
オリンピックの競技種目を表現するピクトグラムが体系的に作られたのはこれが世界初。継続的な展開や発展を主眼としたため、デザイン自体の著作権を放棄したこともあり、その後もオリンピック開催各国がデザインを変化させて受け継ぐスタイルが生まれることとなった。
日本発祥で世界標準となった例もある。「非常口」のピクトグラムだ。1970年代に日本で開催された「非常口標識コンテスト」。このイベントへの出品作品をベースに、緑色でお馴染みの非常口マークのピクトグラムが生まれた。87年に国際規格ISOにも選ばれ、海外でも多く使用されるようになった経緯がある。