【まんが】『武士道』を書いたのはキリスト教徒だった
100年以上前に新渡戸稲造が英語で書いた世界的ベストセラーから、日本人の特質を再発見し、人生の知恵を得る(2)
日本人は日本論・日本人論が好きだ。だが、外国人の手によるもの、日本人が日本の読者に向けて書いたものは多いのに、日本人が外国の読者に向けて書いた日本論はあまり見かけない。どんな自画像を描くかだけでなく、どう他国に理解してもらうかも大切なはずだが、日本人によるそうした努力はあまりなされてこなかった。
否、そうした日本論は実はある。100年以上も前に英語で書かれ、アメリカで出版された『Bushido: The Soul of Japan』だ。著者は明治時代の教育者であり思想家であった新渡戸稲造。日本人の精神を欧米人に理解してもらおうと、この本(日本語では『武士道』)を英語で書き上げた。
出版されるやいなや高い関心が寄せられ、フランス語やドイツ語にも翻訳されて世界的なベストセラーとなった。西洋の思想と比較しながら"日本人の魂"である武士道の本質を解説した『武士道』から、多くの人が人生の知恵や教訓を得たという。今も各国で読み継がれ、まさに名著だ。
このたび、この名著がまんが化されたのを機に、『まんがで人生が変わる! 武士道――世界を魅了する日本人魂の秘密』(新渡戸稲造・著、カネダ工房・まんが、三笠書房)から「プロローグ」と「第1章」を抜粋し、4回に分けて掲載する。
『まんがで人生が変わる! 武士道――世界を魅了する日本人魂の秘密』
新渡戸稲造 著
カネダ工房 まんが
三笠書房
※シリーズ第1回【まんが】日本人の礼儀正しさは「武士道」から来ている?
人に勝ち、自分に克つ! 強靱な精神力を鍛える――新渡戸稲造の『武士道』を知ろう!
師範「ステファニー。日本へ行ったら、新渡戸稲造の『武士道』を学びなさい」
ステファニー「はい師範! 昔のサムライの戦い方や、驚くような技が学べるのでしょうか?」
師範「そうではない。武士道とは、日本に根づいた精神であり、崇高な生き方を教えるものだ。いわば日本の魂だ」
ステファニー「日本の魂......?」
師範「そうだ。ただ......おそらく、今の日本の若者もほとんどが、武士道とは何なのか、知らずに暮らしているだろう。だからステファニー、日本の若者と友達になって、『武士道』を一緒に読みなさい。そこに書いてあることはきっと、おまえにも伝わるはずだし、現在の日本の若者も、『武士道』をとおして日本人の生き方を学び直すべきなのだ」
ステファニー「わかりました! 剣道の強い女の子と友達になって、『武士道』を勉強します!」
<参考記事>【動画】外国人を(嵐よりも)魅了するサムライ集団「TAO」って何者?
新渡戸稲造とは何者か!?
『武士道』の内容に入る前に、『武士道』を書いた新渡戸稲造がどんな人だったのか、彼が生きたのはどんな時代だったのか、簡単に見てみましょう。
新渡戸稲造は1862年、現在の岩手県盛岡市に生まれました。1862年というと、江戸時代の終わりです。
江戸時代、200年以上の長期にわたって日本は鎖国していたのですが、1853年にアメリカ合衆国の「黒船」がやってきて、日本に開国を迫りました。これを受けて鎖国を解いた日本は、徳川幕府を中心とした武家社会から、天皇を中心とした社会へと移行します。これが明治維新です。このとき、日本の社会はヨーロッパやアメリカの制度・文化を非常にうまく取り入れて、急速に近代化しました。
新渡戸は、「黒船」来航と明治維新との間に、武士の家の三男として生まれます。幼いときはサムライの子としての教育を受けていたでしょうが、明治維新によって、サムライという階級は廃止されます。また、新渡戸家は当時としてはかなりハイカラな雰囲気で、西洋で作られたものが家の中に多くあったそうです。
武士道の教えと西洋への憧れが、ともに稲造少年を育んでいったといえます。
新渡戸は、世界でどう活躍したか?
新渡戸はやがて農学を学ぶことを志し、札幌農学校(現在の北海道大学)に入学します。
ここは「少年よ、大志を抱け」の言葉で有名なウィリアム・スミス・クラーク(1826~1886年)が初代教頭を務めた、当時トップのエリート校です。
新渡戸の入学と入れ違いでクラーク博士はアメリカに帰国してしまいましたが、博士の影響で学内にはキリスト教が広まっており、西洋のこともたくさん学べました。