【まんが】『武士道』を書いたのはキリスト教徒だった
新渡戸もここでキリスト教の洗礼を受けます。同級生には、のちに世界で活躍するキリスト教思想家の内村鑑三(1861~1930年)がいました。クラーク博士の精神を受け継いで日本の発展に大きく貢献した新渡戸や内村らは、「札幌バンド」とも呼ばれます(「バンド」とは「人の集まり」という意味です)。
札幌農学校を卒業した新渡戸は、「太平洋の懸橋」になって日本と西洋をつなぎたいと考え、アメリカやドイツに留学しました。彼の学問的実績は次第に、国内外で認められていきます。
また新渡戸は、アメリカで出会った女性メアリー・エルキントン(1857~1938年)と結婚しました。メアリーは新渡戸萬里子(萬里、万里などの記録もあり)の日本名になり、のちに日本で、貧しい子どもたちや動物を救う活動を行うことになります。
『武士道』は、なぜ世界中で熱狂的に読まれたのか?
1895年、世界中が日本に注目する出来事が起きました。
日本が中国との戦争(日清戦争、1894~1895年)に勝ったのです。近代化したばかりのちっぽけな「劣等国」にすぎない島国日本が、どうして巨大な中国との戦争に勝てたのか? 世界中が驚愕し、不思議がりました。
まさにそのタイミングで、新渡戸稲造の本『武士道』が、アメリカで出版されます。1900年(1899年との説もあり)のことです。
新渡戸はこの本をとおして、西洋の人たちに日本人のことをしっかりと知ってもらおうと考えていました。
【参考記事】どうして日本人は「ねずみのミッキー」と呼ばないの?
西洋から見れば遅れた野蛮な国だと思えるかもしれないけれども、日本人はけっしてレベルの低い民族などではない。日本には独自の精神があって、それは西洋の精神と比べて勝るとも劣らない。――そう伝えるため、新渡戸は世界に対して、日本人を象徴する「サムライ」という人物像を示し、そこに自分の理想を込めたのです。しかも西洋人にわかりやすいよう、西洋の思想との類似点を丁寧に挙げながら。
日本人の強さの秘密を知りたいと思っていた西洋人たちは、こぞってこの本を読みました。そして日本に根づいた、独特の洗練された倫理観や道徳観に感嘆しました。現在の言葉でいうと、『武士道』はグローバルなベストセラーになったのです。アメリカ大統領セオドア・ルーズベルト(1858~1919年)は多忙な中、『武士道』を徹夜で読みふけったといいます。
あなたもだんだんと、『武士道』の内容が気になってきたのではないでしょうか?
それでは次章から、『武士道』の中身を学んでいきましょう。
※シリーズ第1回【まんが】日本人の礼儀正しさは「武士道」から来ている?
※シリーズ第3回【まんが】「武士道」の原点は戦闘時のフェア・プレイにある