ペンタゴン・ペーパーズ 映画で描かれない「ブラッドレー起用」秘話
ベンと私は、続く数カ月の間に何回か会って話し合った。彼は、愛する現在の職を去るからには、ただ単にアルが退職するのを待つために、ポストで二年から三年も安閑と過ごすつもりはないとはっきり言った。しかし、一年ならば、ポストに移って待つことにやぶさかでないことも分かった。私はこうした考え方にはあまり乗り気でなかった。心のどこかで、この男は仕事もまだ得ていないというのに、なんだってこう厚かましいんだろうと思う一方、やはりこれがわが社にとって必要であり、私も実は望んでいることなのかもしれない、とも思うのだった。
ベンはせきたてたが、私は引き伸ばし続け、一九六五年の夏になって初めて、ベンをニューズウィークからポストの編集局次長として引き抜く案を、ラスとアルに伝えた。彼らは最初は否定的だった。ラス・ウィギンスは、ベンが来るならば他の者と同じように記者として来て、実力によって昇進すべきだと主張した。アル・フレンドリーは、二、三年のうちには全米新聞編集者協会の会長に就任する見込みがあり、彼としては非常にこのポストに就きたかったので、編集局長の職を急いで退きたくはなかった。ベンは事実、一年以内に昇進したいという希望をアルに話したが、これに対してアルの答えは、「君はいったい何をそんなに急いでいるんだね?」というものだった。しかし結局ベンは、見解の相違を承知の上で、ポストにやって来た。
編集局長更迭の苦渋
一九六五年七月七日、全国および国際ニュース担当の編集局次長としてベンがポストに参加することが、ラスとアルとによって発表された。ベンは当時まだ若く、四三歳だったが、ニューズウィークのワシントン支局長として、すでに四年の経験があった。ニューズウィークの新しい支局長としては、メル・エルフィンが選ばれ、その後二〇年間にわたって堅実かつ効果的にその職を務めた。ポストでは、古手で敏腕のベン・ギルバートが、ローカルニュースと管理担当の編集局次長に任命された。
ベンの就任は九月一日ということになっていたが、彼は夏休みを取らず、八月二日には早くも出社した。ニューズウィークを土曜日に退職し、翌週の月曜日にはポストに着任したのである。私は七月二〇日に次のような手紙を送った。「アルからの嬉しい知らせでは、あなたは他の人たちが一カ月かかって身につけることを、ただの三〇分で学んでしまうそうですね」。確かに、ベンは着任するやいなや駆け出していた。
それ以後ずっと、ベンはカリスマ的な指導者であり続けた。彼は極めつけの美男子であり、愉快な性格、洗練された都会人の典型で、政治的センスも十分だった。すべての要素が彼を際立たせる役目を果たしていた。さらに重要だったのは、彼が常に猛烈に働いたことである。現場の仕事を覚えるという決心のもと、深夜まで働き、土曜日も休まなかった。彼がすぐに気づいたのは、ラスが論説面にばかり精力を注ぎ、アルは実際のところ仕事のエネルギーを失ってしまっているということだった。こうした状況のなかで、ギルバートが「全部のネジとネジ回しを制御して」紙面を統括しているのが実情だった。ベンは、アルがたとえば各部局の機能や組合の活動など新聞の基本というものを理解していないと感じた。彼の認識不足が、ポストに重大な損害を与えていると思った。最初からベンは、良い編集者であるためには、すべてがどのようにして成り立っているのか知っていることが重要と考えていたのだ。