ペンタゴン・ペーパーズ 映画で描かれない「ブラッドレー起用」秘話
結局のところ、ベンでさえも事があまりにも急速に展開したのに驚いた。彼が着任してから三カ月後の一一月一五日、ベンがアルに替わってワシントン・ポストの編集局長となることが発表された。発表の中には、アル自身が「経営管理業務から外れ、全国的および国際的事件の取材・執筆という古巣に戻ることを希望した」という内容も含まれていた。アルはポストの副主筆となり、引き続いて副社長と役員会メンバーを兼務することになった。
アルおよびジーンとの関係は損なわれ、苦いひずみが残ったが、彼ら夫妻は努めて以前と同様に礼儀正しく私に接してくれ、週末にグレン・ウェルビーの家まで来てくれさえした。奇跡のように思えたのは、アルが大物の一流記者として蘇り、人生を再構築したことである。幸いなことに、アルは会社の株式を多数所有しており、かなり裕福だったので、ロンドンにマンションを買い、トルコの別荘はそのまま所有し、ジョージタウンの広大な家も持ち続けることができた。最も重要なことは、ワシントンでの居心地が良くなかったために、彼はしばしば海外に出かけて記事を書くようになったことである。そして、海外において彼はジャーナリストとして最も重要な仕事の数々を成し遂げ、中東六日間戦争の報道記事に対しては、ピューリッツァー賞を受賞することになる。
歳月を経て、私たちの関係は元の親しさに戻った。これはまったくアルとジーンの人徳によるもので、終生私に対して不満を抱き続けても当然だったにもかかわらず、彼らの心はあまりにも寛容で、そのような方向には決して向かわなかったのである。後年、あの配置転換に際して、二つの後悔が残るとして、アルは次のように書き送ってきた。「一つは、私自身の方から自発的に決断する知恵がなかったこと、もう一つは、事が決まった後、自分自身を見失ってぶざまな態度を取ってしまったことです」。これは実質上解任された人としては並はずれた非凡な人格の持ち主の言葉だと、私は今でも思っている。
皮肉なことには、ベンの就任発表の直前、一一月二日に、アルは「ワシントン・ポストはどこへ向かうのか」と題するメモを私に提出していた。このメモは、「幸運と良き経営に恵まれて、ポストを世界一の新聞にする条件は、現在すべて整っている」と書き始められていた。七ページにわたるメモは、次のような「最後の言葉」によって締めくくられていた。「現在の状況から、『最高』となるためには、非常に苦しい決断の数々を強いられることになる。究極的な意図や目標の取りまとめ、経費に関する決定など、最も困難な決断は、もちろんあなた自身が行うことになる。これらの決断は決して容易なものではなく、穏やかに終始するものでもなく、また一夜にして到達し得るものでもないだろう」
あらゆる点で、彼の指摘は的を射ていたのである。
『ペンタゴン・ペーパーズ――「キャサリン・グラハム わが人生」より』
キャサリン・グラハム 著
小野善邦 訳
CCCメディアハウス