ペンタゴン・ペーパーズ 映画で描かれない「ブラッドレー起用」秘話
トム・ハンクス演じるベン・ブラッドレーはいかにしてワシントン・ポスト紙の編集主幹になったか ©Twentieth Century Fox Film Corporation and Storyteller Distribution Co., LLC.
<スピルバーグ監督作『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』は、ワシントン・ポスト社主キャサリン・グラハムと編集主幹ベン・ブラッドレーを描く物語。「報道の自由」を守る戦いに身を投じていく2人の「始まり」を、グラハムの自伝から抜粋する(第3回)>
ベトナム戦争の「暗部」にまつわる最高機密文書をワシントン・ポストが公表、米政府の圧力と戦っていく――。
実話を映画化したスティーブン・スピルバーグ監督作『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』は、『キャサリン・グラハム わが人生』(小野善邦訳、CCCメディアハウス)を主な土台としている。ワシントン・ポスト社の社主キャサリン・グラハムの97年の自伝だ。
ここでは、自伝を再構成した新刊『ペンタゴン・ペーパーズ――「キャサリン・グラハム わが人生」より』(小野善邦訳、CCCメディアハウス)の第2章から、キャサリン(映画ではメリル・ストリープが好演)が社主となった直後に日本やベトナムに外遊し、ベン・ブラッドレー(トム・ハンクス)を編集主幹に起用するところまでを3回に分けて抜粋する。
ワシントン・ポスト傘下にあったニューズウィークの、野心あふれるワシントン支局長ブラッドレーをポストの編集局長に――。いわば、映画の前日譚とも言える箇所だ。今回が第3回。
※第1回:天皇と謁見した女性経営者グラハム(ペンタゴン・ペーパーズ前日譚)
※第2回:ワシントン・ポストの女性社主が小型ヘリに乗り、戦場を視察した
編集局の刷新を考える
ポストで最初に働き始めた時に、私が当然のように思っていたのは、何事も以前とまったく同じように継続するだろうということだった。しかし、私の監督下になって持ちあがってきたことの一つは、驚いたことに、ポストの編集の質に関する問題であった。ポストが完全には満足できる状態にないという事態を、私は気づかなかった。編集局長のアル・フレンドリーと、論説面をみている主筆のラス・ウィギンスに全面的な信頼を置いていたし、すべてがうまく運んでいると信じていた。事実、フィルの死後およそ一年たった時点で、私はアルに次のような私的な手紙を書いている。「このようなことは書かなくても、あなたはお分かりのことと思いますが、ともかく気が済まないので書かせていただきます。この一年間、あなたは本当に素晴らしい活躍をしてくれました、そして本当に立派でした」
紙面が期待されるほどには良くなく、向上の余地が多分にあるという考え方を最初に耳に入れてくれた一人に、スコッティー・レストンがいる。彼はグレン・ウェルビーの家に向かう途中、このように言ったのだ。「君は、相続した新聞よりずっと優れたものを次の世代に残したくはないか?」
この質問は、びっくりするには当たらないように聞こえるかもしれないが、当時の私には驚きだった。私は、過去において私たちが成し遂げていたような進歩を、現在は達成していないということ、あるいは私たちが行っていることは、一九六〇年代の現在としては不十分であるということをまったく考えていなかった。
論説委員室や編集局内部で何が起こっているのかということを、どうして気になり始めたのか、もはや思い出すことは難しい。だが、注意信号のようなものがいくつもあったのは事実で、これらに気づいた私は、当然新聞が進むべき方向のことを考え始めた。将来の問題について個人的に相談を持ちかけたのは、ウォルター・リップマンとスコッティーだった。
本当のところ、私はスコッティーを必要と感じていた。彼は個人的にも非常に親しい友人であり、新聞を発展させるために力を惜しまず助けてくれた。一九六四年の夏、彼に何回も会ってポスト紙に来てくれる可能性がないかどうかを打診した。話し合ったことの一つに、ずっと以前からの彼の懸念、つまりフィルが発行人としての立場を超えて口出しすることが多かったという問題があった。これについては、私の場合は状況が違うということで合意した。最後には、フリッツの助言もあり、ウォルターやラス・ウィギンスとの相談を経て、スコッティーに、ニューヨーク・タイムズのコラムを続けながら、わが社の編集顧問になるという、曖昧なポストを提案した。確かに、これは妥当な案とは思われなかったのだが、ラスとアルに恩義を感じていた私は、彼らの考え方に反対したくなかったのだ。