ペンタゴン・ペーパーズ 映画で描かれない「ブラッドレー起用」秘話
スコッティーは、当然のことだろうが、この提案をはっきりと、しかし気持ちよく、非常に前向きの態度で断わってきた。私たちはしばらく彼なしで仕事を続けたが、しかし私は、問題が存在することを次第に認めざるを得なくなった。では一体、どのような形でこの口火を切ればよいのだろうか?
もちろん私には、ニュースの質を云々するための、洗練された高度な専門知識はなかった。しかし私の観察では、幹部たちの間に優柔不断な態度がはびこっており、これに加えて誤った判断も―特に人事に関して―繰り返されているのが分かった。私は、いわばアドレナリンの不足を随所に感じていたのである。また噂では社会部でも活動の沈滞が甚だしいという。私の所まで届いたある情報によれば、社会部では夜九時を過ぎたら、もう死んだ猫を振り回して放り投げても当たる人が全然いないということだった。
そのうえ、問題は明らかにアル自身にもあった。当時、政府部内で働いていたボブ・マニングが会いに来て、アル・フレンドリーと交替したいと提案してきたこともあった。彼の意見では、自分こそが紙面を刷新し活性化するのに適任だと言うのである。私は言下にこの申し込みを断わったが、このエピソードもまた、心の中に疑惑の種をまくのに十分だった。一九六五年になれば、アルは編集局長を一〇年間務めたことになる。彼が急に老け込んできたという話は、いろいろなところで聞かれた。確かに彼には疲れが見え始めていた。それにともなって、次第に人の意見に耳を傾けようとしなくなっていた。これは、彼のような仕事では非常に困難な状況を招く、まずい事態だった。
彼自身にも不安があったのだろう、毎年二カ月の休暇を取る必要があると宣言して、この期間を妻のジーンと二人で過ごすための別荘地をトルコ国内に購入した。アルは私の友人ではあったが、編集局長という地位は、新聞を毎日発行する上で最も重要な「かなめ」となる役である。そして、このポストを二カ月も空けるという考え方を、私は憂慮した。
これらすべてが明らかな注意信号だったが、どのようにして対処したらよいのか、私は困惑するばかりだった。アルは、貧弱な体制の中で長年素晴らしい仕事をしてきた人物だったし、彼とジーンは二人とも私の最も親しい友人でもあったから、彼を動転させるような仕打ちはしたくなかった。新聞に新しい活力を与える必要があるということを、それとなくアルにほのめかしたこともあるが、その時も彼は私の気持ちを理解しようとせず、私の判断を真剣には受けとめていなかった。そこで、彼が他の人びと、特にウォルター・リップマンと話をして、彼らが新聞の現状についてどのような考えを抱いているか、そして新聞をさらに発展させるために何をすべきかについて意見を求めてはどうかと提案した。アルはこれに同意したが、その時はウォルターはメーン州に避暑に出かけており、彼らがすぐに会うことはできなかった。