ペンタゴン・ペーパーズ 映画で描かれない「ブラッドレー起用」秘話
ちょうどその頃、ベン・ブラッドレーがニューズウィークから二度にわたって昇進の機会を与えられたが、必然的にニューヨークへの転勤を伴うものだったため、二度ともその昇進を断わったという話が伝わってきていた。彼とはさまざまな仕事で何度もニューヨークに行ったり来たりしたことがあったし、会議や昼食で同席したことがあったのだが、彼自身のことは詳しく知っているというわけではなかった。フィルのひどかった時代に彼がフィルに肩入れしていたことを連想せずにはいられなかったが、一方で彼はニューズウィークのワシントン支局を見事に運営していたし、有能な人材を周囲に集めており、人の受けも非常に良かった。私には、彼の卓越した能力が会社にとって非常に有用であることが分かっており、彼を失うことを恐れた。ハンサムで魅力的だったから、いずれどこかのテレビ・ネットワークに引き抜かれる恐れが十分あったのである。
ベンの野心がどのようなものかを知るために、昼食に招いた。そのようなことをするのは初めてだった。当時は女性の方から男性を昼食に招待して料金を支払うのはまだ一般的でなく、気詰まりなことだったので、 一九六四年の一二月、私はFストリート・クラブに彼を招待した。そこは請求書にサイン〔当時はまだクレジット・カードがなかった〕できたので、どちらが支払うのかを決める場面を避けることができた。今の人たちから見れば、奇妙に思われるかもしれない。
その時の会話は、いろいろと脇道にそれた。ニューヨークのニューズウィークになぜ行こうとしないかも訊いてみた。もっとも、彼とトニーとの間には六人の子供があり、四人は彼女の連れ子で、二人が彼ら自身の子供であること、そのほかにベンの若い頃の結婚でもうけた子供ベン・ジュニアもいるので、住宅環境を変えるのは非常に難しいだろうということは分かっていた。彼は、このワシントンで支局を運営しているのが大変楽しいこと、そして昇進のために急いで転勤したくはないと考えていることなどを話した。
「しかし、将来的には何をやりたいの?」と私は訊いた。
「そうですね。せっかくお尋ねいただいたわけですから申し上げると」とベンは、彼特有の華麗な言葉遣いで答えた。「もし可能ならば、ポストの編集局長として残りの人生を捧げたいですね」
私は驚愕した。これは彼の予想していた質問ではなかったのだろうし、また私の予想していた答えではなかった。正直に言えば歓迎したくないものだった。しかし、かねてからの私の懸念を考慮すれば、当然考えられる回答であった。私がベンに伝えたかったのは、将来の希望について話し合うということであって、今すぐに実現しようとか、ごく近い将来に具体化しようというものではなかった。しかし、ベンは明らかに彼のポストの可能性が開けたと考えた。そして、したたかにその可能性を追求した。私を見かけるたびに、「今度はいつ頃、もう少し詳しいお話ができますか? 次の段階としては何をやりましょうか?」と問いかけてきた。私は彼の執拗さにびっくりしてしまった。
私はまず、この案をスコッティーに相談する機会をつくった。スコッティーはベンを個人的にはよく知らなかったが、多分うまくいくだろうと考えていた。ウォルター・リップマンはべンをよく知っている一人だったが、好意的な態度で、ベンはポストのために大きなことをやってくれるだろうと言った。これに元気づけられて、私は話をフリッツに持ちかけたが、彼も大賛成だった。またオズ・エリオットも、もちろん賛成だった。