フォルクスワーゲン前CEOが築いた「畏怖と尊敬」の独裁ビジネス
VWのデザイン責任者であるクラウス・ビショフ氏も、ウィンターコルン氏が不正を知っていた、もしくは容認していたと考えるのは想像しがたいとし、「彼は車の物理に精通した筋金入りのエンジニアで、ソフトウエアに関しては縁遠い」と指摘した。
ウィンターコルン氏は、第2次世界大戦後にハンガリーからドイツに逃れてきたドイツ系移民の子として1947年に誕生。冶金学を学んだ後、独自動車部品大手ボッシュで出世街道を歩み、その後VWへ。2007年にCEOに就任してまもなく、同氏はVWを世界最大の自動車メーカーにするとの決意を抱く。それは当時、世界最大の自動車市場である米国でのシェア拡大を意味していた。同国での販売は何年も不振に陥っていた。
その後、VWの年間世界販売台数は1000万台にまでほぼ倍増し、売上高も2000億ユーロ(約27兆2300億円)に上った。今年の上半期には販売台数で日本のトヨタ自動車<7203.T>をわずかに上回り、世界トップの座を獲得した。
目標販売台数を達成しなければならないというプレッシャーはすさまじかったと、販売担当の元幹部は語る。「それが嫌なら、自分から辞めるか、成績不振で首になるかのどちらかだった」
また、別の元幹部は独裁的な経営スタイルについて語り、どのように各ブランドのCEOが「かなり失礼に」扱われるか説明した。現在は別の世界的メーカーに勤務するというこの人物は、こうしたことは業界で当たり前のことではないと語った。
犠牲者の1人は、2013年にVWを去ったジョナサン・ブラウニング前米国法人CEOだろう。当時、VWの関係筋はロイターに対し、ブラウニング氏は野心的な販売目標を達成できずに解雇されたと話した。
ブラウニング氏の在任期間中、パサートモデルの改良失敗から、ペイントのようなささいに思われる事柄までさまざまな問題をめぐり、米国法人の経営についてウィンターコルン氏は非難していた。
2013年7月に米国で行われた試験走行で、ウィンターコルン氏はビートルモデルの塗装面にわずかなへこみを見つけた。あるVW関係筋は匿名を条件に、塗装の厚みは社内基準から1ミリメートルも上回っていなかったが、それでも同氏はエンジニアたちにその無駄について説教していたという。