コラム

イラン司令官殺害が象徴する、イラク・シーア派への米政府の「手のひら返し」

2020年01月09日(木)15時30分

もうひとつ厄介なことは、皮肉なことだが、ソライマーニの殺害で誰もイラクのシーア派民兵の無軌道をコントロールできる者がいなくなったということである。米政府は、これまで民兵や武装勢力の武装活動に手を焼いたとき、それらに影響力を持つ国を通じてコントロールしようとしてきた。シリアのアサド政権はその典型例で、レバノンでヒズブッラーの行動が目に余るとその支援者であるアサド政権を通じて、調整していた。2006年にヒズブッラーとイスラエル軍が衝突した際、国連出席中のブッシュ米大統領が、マイクをオンにしたまま「アサドになんとかさせろ」と発言したことは、有名な逸話だ。80年代にレバノンで米人がヒズブッラーの人質となった際、米政府は人質解放の交渉をイランに頼めないかと考えて、日本に仲介を依頼したことがある。

首相も辞任し誰も指導力を発揮できる人物が政府にいないイラクで、「反米」を謳う民兵勢力が一斉に報復に動こうとする。良くも悪くも、彼らを統括できるのは親イラン系組織とイラン政府しかない。かつて湾岸戦争直後、イランからイラクに進軍してフセイン政権に攻撃をしかけようとしていたバドル部隊を、国境で止めるという判断をしたことが、イラン政府にはある。そういう役割を果たしえたのがソライマーニだったのだが、行かせるも止めるも、決定力を持つ者が不在の今、イラクが再び群雄割拠、下克上の戦場と化す危険性は大だ。

ソライマーニとムハンデスの殺害後、イラク人の間では即座にあるSNSが行き交った。「イラクは戦場ではない」とか、「あんたたちの戦争はイラクから遠いところでやってくれ」といったハシュタグが躍っている。

sakai200109-pic01.jpg

戦場となる危険とともに、米政府は米軍を追い出すイラクにも制裁をかけるぞと脅している。戦争と制裁。米政府が90年代に一貫してやってきたことの繰り返しだ。トランプ政権は、アメリカが2000年代イラク戦争とその後16年かけてイラクにつぎ込んできた大量のアメリカのカネと人命を、なかったことにしたいのだろうか。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イスラエルがガザ軍事作戦を大幅に拡大、広範囲制圧へ

ワールド

中国軍、東シナ海で実弾射撃訓練 台湾周辺の演習エス

ワールド

今年のドイツ成長率予想0.2%に下方修正、回復は緩

ワールド

米民主上院議員が25時間以上演説、過去最長 トラン
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 6
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 7
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 10
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story