イラン司令官殺害が象徴する、イラク・シーア派への米政府の「手のひら返し」
ここで活躍したバドル部隊とは、親イラン派の政治組織、イラク・イスラーム革命最高評議会(SCIRI、その後ISCI)の軍事部門として、80年代からイラン・イスラーム革命防衛隊の手ほどきを受けて育った組織である。イラン生まれのSCIRIは、湾岸戦争後は急速に欧米諸国に接近、1998年には米議会がフセイン政権を倒すためにイラク反政府勢力を支援する「イラク解放法」を採択した際に、支援対象に選ばれた。そのためか、イラク戦争後、バドル部隊が内務省、治安部門を牛耳っていくことに対して、米政府が苦情を言うことはなかった。すっかり「親米組織」だと思い込んでいた――いや、思おうとしてきたのだ。
ところで、2008年にマフディ軍を潰した当時の首相、ヌーリー・マーリキーは、国内に支持基盤もない、影の薄い首相と思われていた。影が薄いからこそ、米政府も首相就任を認めたのだろう。だが影が薄かったのは第1期(2006~2010年)だけだった。2010年4月の選挙のあと、後任人事でもめにもめて8カ月も首相ポストが空位になったあと、マーリキーの続投が決まった。当時のイラク首相人事はアメリカとイランのゴーサインがなければ決まらないといわれていたので、当然両国の間で調整なり意見交換があったはずだ。
そこで選ばれたマーリキーは、2008年の経験をもとに、反マフディ軍のバドル部隊や、バドル部隊と密接な関係を持つ諸民兵組織を味方につけて、地盤を固めようとした。今回殺害されたムハンデスはもともとバドル部隊に属していたが、内戦最中の2007年にカターイブ・ヒズブッラーを結成、バドル部隊と二人三脚で、スンナ派勢力などマーリキー政権の政敵を倒すのに活躍したのである。そこには、マフディ軍を潰された後のサドル潮流の分派で、武装活動を継続したアサーイブ・アハル・ル・ハックも加わった。
こうしてマーリキー政権は、2011年に米軍がイラクから撤退して以降、親イラン・シーア派民兵の全面的なバックアップのうえに権力を集中させていったのである。2014年、ISの登場で、米政府は3選を果たしかけたマーリキーに変えてロンドン在住経験の長いアバーディを首相に推し立てたが、ISに対する武装作戦という点では、マーリキーが重用した親イラン民兵集団に勝る実力者はいなかった。親イラン・シーア派民兵集団がPMUの中核となって、ISからイラクを守るという「手柄」を立てるのである。その手柄を背景に、2018年の国会選挙ではPMUを核とした政党連合「ファタハ」が第2党となった。そして国会内で多数派を確保し、最大勢力となった。
アメリカが生んだアルカーイダ
アメリカが言うところの「民主化」に従って自分たちは権力を確立してきたのだ、とするシーア派民兵勢力の怖さを最もひしひしと感じてきたのは、イラクの民衆である。宗派を問わず、国外に脱出したイラク人たちが、国内で生命の危険を感じたのはアルカーイダによってか、アサーイブによってか、はたまたバドル部隊によってかだった、と語るのにしばしば出会う。マーリキーが権力を確立していく頃から、いやもっと早く、イラク戦争直後からバドル部隊とその仲間たち、そしてその背景にあるイラン・イスラーム革命防衛隊の脅威を、現地に生きる人々は感じてきた。
だが、その懸念に目を瞑って使い続けてきたのは、アメリカである。80年代、反米イランの対抗馬として友好関係を築いたイラクのフセイン政権や、アフガニスタンで反ソ義勇兵を利用し続けた結果生まれたアルカーイダと同じように、バドル部隊やその他シーア派民兵は、アメリカが間接的であれ利用し続けてきた結果、手が付けられなくなった「厄介者」である。
その意味では、厄介者になったのに長年放置してしまって湾岸戦争を起こされたり(サッダーム・フセイン)、9.11を起こされたりした(ウサーマ・ビン・ラーディン)、という過去の失敗を反省して、今回は少し早めに「厄介者」を取り除こうとした、ということなのかもしれない。
だが、もうすでに「早め」ではなくなってしまった。昨年10月にバグダードで始まった大規模なデモで、激しい批判にさらされて足元がぐらついていたイラク政府は、今回の殺害で一気に「反米」で結束、国会で米軍のイラクからの完全撤退要求を決議した。政府側とデモ側の間で蝙蝠(コウモリ)のように振れていたサドル潮流は、「反米」武力路線を復活させて、かつて投獄されたマフディ軍メンバーの釈放を求めている。イラクの反政府活動家は軒並み「米軍の手先」と見なされ、ますます激しい弾圧の対象となりつつある。ポンペオが言うように「イラク人たちが踊って喜んでいる」どころか、芽生え始めた民衆運動を一気に潰す口実を親イラン民兵勢力に与える、最悪のタイミングでの殺害だったといえよう。
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