コラム

イラン司令官殺害が象徴する、イラク・シーア派への米政府の「手のひら返し」

2020年01月09日(木)15時30分

ここで活躍したバドル部隊とは、親イラン派の政治組織、イラク・イスラーム革命最高評議会(SCIRI、その後ISCI)の軍事部門として、80年代からイラン・イスラーム革命防衛隊の手ほどきを受けて育った組織である。イラン生まれのSCIRIは、湾岸戦争後は急速に欧米諸国に接近、1998年には米議会がフセイン政権を倒すためにイラク反政府勢力を支援する「イラク解放法」を採択した際に、支援対象に選ばれた。そのためか、イラク戦争後、バドル部隊が内務省、治安部門を牛耳っていくことに対して、米政府が苦情を言うことはなかった。すっかり「親米組織」だと思い込んでいた――いや、思おうとしてきたのだ。

ところで、2008年にマフディ軍を潰した当時の首相、ヌーリー・マーリキーは、国内に支持基盤もない、影の薄い首相と思われていた。影が薄いからこそ、米政府も首相就任を認めたのだろう。だが影が薄かったのは第1期(2006~2010年)だけだった。2010年4月の選挙のあと、後任人事でもめにもめて8カ月も首相ポストが空位になったあと、マーリキーの続投が決まった。当時のイラク首相人事はアメリカとイランのゴーサインがなければ決まらないといわれていたので、当然両国の間で調整なり意見交換があったはずだ。

そこで選ばれたマーリキーは、2008年の経験をもとに、反マフディ軍のバドル部隊や、バドル部隊と密接な関係を持つ諸民兵組織を味方につけて、地盤を固めようとした。今回殺害されたムハンデスはもともとバドル部隊に属していたが、内戦最中の2007年にカターイブ・ヒズブッラーを結成、バドル部隊と二人三脚で、スンナ派勢力などマーリキー政権の政敵を倒すのに活躍したのである。そこには、マフディ軍を潰された後のサドル潮流の分派で、武装活動を継続したアサーイブ・アハル・ル・ハックも加わった。

こうしてマーリキー政権は、2011年に米軍がイラクから撤退して以降、親イラン・シーア派民兵の全面的なバックアップのうえに権力を集中させていったのである。2014年、ISの登場で、米政府は3選を果たしかけたマーリキーに変えてロンドン在住経験の長いアバーディを首相に推し立てたが、ISに対する武装作戦という点では、マーリキーが重用した親イラン民兵集団に勝る実力者はいなかった。親イラン・シーア派民兵集団がPMUの中核となって、ISからイラクを守るという「手柄」を立てるのである。その手柄を背景に、2018年の国会選挙ではPMUを核とした政党連合「ファタハ」が第2党となった。そして国会内で多数派を確保し、最大勢力となった。

アメリカが生んだアルカーイダ

アメリカが言うところの「民主化」に従って自分たちは権力を確立してきたのだ、とするシーア派民兵勢力の怖さを最もひしひしと感じてきたのは、イラクの民衆である。宗派を問わず、国外に脱出したイラク人たちが、国内で生命の危険を感じたのはアルカーイダによってか、アサーイブによってか、はたまたバドル部隊によってかだった、と語るのにしばしば出会う。マーリキーが権力を確立していく頃から、いやもっと早く、イラク戦争直後からバドル部隊とその仲間たち、そしてその背景にあるイラン・イスラーム革命防衛隊の脅威を、現地に生きる人々は感じてきた。

だが、その懸念に目を瞑って使い続けてきたのは、アメリカである。80年代、反米イランの対抗馬として友好関係を築いたイラクのフセイン政権や、アフガニスタンで反ソ義勇兵を利用し続けた結果生まれたアルカーイダと同じように、バドル部隊やその他シーア派民兵は、アメリカが間接的であれ利用し続けてきた結果、手が付けられなくなった「厄介者」である。

その意味では、厄介者になったのに長年放置してしまって湾岸戦争を起こされたり(サッダーム・フセイン)、9.11を起こされたりした(ウサーマ・ビン・ラーディン)、という過去の失敗を反省して、今回は少し早めに「厄介者」を取り除こうとした、ということなのかもしれない。

だが、もうすでに「早め」ではなくなってしまった。昨年10月にバグダードで始まった大規模なデモで、激しい批判にさらされて足元がぐらついていたイラク政府は、今回の殺害で一気に「反米」で結束、国会で米軍のイラクからの完全撤退要求を決議した。政府側とデモ側の間で蝙蝠(コウモリ)のように振れていたサドル潮流は、「反米」武力路線を復活させて、かつて投獄されたマフディ軍メンバーの釈放を求めている。イラクの反政府活動家は軒並み「米軍の手先」と見なされ、ますます激しい弾圧の対象となりつつある。ポンペオが言うように「イラク人たちが踊って喜んでいる」どころか、芽生え始めた民衆運動を一気に潰す口実を親イラン民兵勢力に与える、最悪のタイミングでの殺害だったといえよう。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

アングル:「AIよ、うちの商品に注目して」、変わる

ワールド

エアバス、A320系6000機のソフト改修指示 A

ビジネス

ANA、国内線65便欠航で約9400人に影響 エア

ワールド

アングル:平等支えるノルウェー式富裕税、富豪流出で
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ガザの叫びを聞け
特集:ガザの叫びを聞け
2025年12月 2日号(11/26発売)

「天井なき監獄」を生きるパレスチナ自治区ガザの若者たちが世界に向けて発信した10年の記録

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 2
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体を東大教授が解明? 「人類が見るのは初めて」
  • 3
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場の全貌を米企業が「宇宙から」明らかに
  • 4
    【クイズ】世界遺産が「最も多い国」はどこ?
  • 5
    【寝耳に水】ヘンリー王子&メーガン妃が「大焦り」…
  • 6
    「攻めの一着すぎ?」 国歌パフォーマンスの「強めコ…
  • 7
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファ…
  • 8
    子どもより高齢者を優遇する政府...世代間格差は5倍…
  • 9
    エプスタイン事件をどうしても隠蔽したいトランプを…
  • 10
    メーガン妃の「お尻」に手を伸ばすヘンリー王子、注…
  • 1
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 2
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 3
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネディの孫」の出馬にSNS熱狂、「顔以外も完璧」との声
  • 4
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 5
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 6
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファ…
  • 7
    老後資金は「ためる」より「使う」へ──50代からの後…
  • 8
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙す…
  • 9
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 10
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story