国債が下落しても誰も困らない理由
日銀保有国債のキャピタル・ロスは「見せかけ」の問題
ここで、政府が財政赤字の補填のために発行した、この表面金利2%額面金額100万円の10年国債を、民間金融機関を経由して、日銀が購入したとしよう。そして、その購入の直後に、市場における国債利回りが突然4%に上昇し、それが10年間継続するとしよう。その場合、上の16万2千円という国債のキャピタル・ロスは、すべて日銀が負うことになる。日銀が100万円で購入したこの国債を市場で売却しようとしても、市場価格である83万8千円にしかならない。日銀はもちろん、その国債を満期まで保有し続けることもできる。しかしその場合には、国債利回り4%と表面金利2%の差し引き2%に対応する毎年2万円のインカム・ロスを満期まで計上し続けることになる。
ただし、日銀保有長期国債の会計評価は、2004年から、含み損を時価評価する低価法から、金利変動によるキャピタル・ロスは計上しない償却原価法に変更されている。そのため、100万円で購入された国債が満期に100万円で売り戻された場合、このロスは計上されない。それは単に、「4%利回りではなく2%利回りであることによる剰余金の減少」として現れるだけである。
こうした会計上の扱いは脇において純粋に経済学的にいえば、市場の国債利回りが上昇すれば、日銀保有国債の一部には必ずキャピタル・ロスが発生する。しかし、上述のように、そのロスは、政府の側の利得に対応している。したがって、狭義の意味での政府と日銀の損益を一体化した「統合政府」では、国債のキャピタル・ロスによる損失はまったく発生していない。むしろ、日銀が保有する国債は政府が発行した国債の一部にすぎず、残りは民間金融機関等が保有していることを考えると、統合政府は国債価格の下落によって、ネットでは大きな財政上の利益を得ることになるのである。
以上の考察から、国債金利の上昇によって生じる日銀の財務状況の悪化は、純粋に「見せかけ」の問題であることが明らかになった。日銀がその保有国債からキャピタル・ロスを被っているとすれば、統合政府は必ずそれ以上の利益を得ている。したがって、狭義政府が日銀に対して保有国債から生じたキャピタル・ロスの分だけ財政補填を行うことは、原理的には常に可能である。そして、それを行うことによる統合政府の財政負担はまったく存在しない。
とはいえ、それがたとえ単なる見せかけであったとしても、保有国債のキャピタル・ロスによって日銀の剰余金がマイナスになるとか、そのバランスシートが債務超過に転じるとなれば、市場に無用な誤解が生じる危惧はある。実際、そうなればおそらく、一部の論者や市場関係者は「円の信認が毀損される」等々と騒ぎ始めるであろう。
その点を踏まえて、前FRB議長ベン・バーナンキは、FRB理事時代の2003年5月に行った日本での講演"Some Thoughts on Monetary Policy in Japan"で、そうした無用な懸念を除去するための一つの提案を行った。
それは、日銀保有の国債の金利を固定金利から変動金利へと転換する「ボンド・コンバージョン」である。この場合、市場における国債利回りの上昇は、既発国債の価格下落ではなく金利上昇そのものとなって現れるので、日銀にキャピタル・ロスは生じない。バーナンキが述べているように、それが政府の追加的な財政負担を意味しないのは、そもそも日銀保有国債のキャピタル・ゲインやロスは政府の純資産の逆の変化によって確実に相殺されている(any capital gains or losses in the value of government securities held by the BOJ are precisely offset by opposite changes in the net worth of the issuer of those securities, the government treasury)からなのである。
このバーナンキ提案は、確かに一つの有意義な政策オプションである。しかし現実には、そこまでのことを行う必要もないかもしれない。というのは、日銀の収益は、量的緩和が進められて保有資産が拡大する局面で趨勢的に増大してきたし、また国債利回りが低下する局面ではそこから逆にキャピタル・ゲインを得てきたからである。日銀は異次元金融緩和政策を発動して以来、出口における剰余金の減少や赤字化に備えて、拡大する剰余金の資本への組み入れを積極的に行ってきた。国債利回りの上昇が想定外に突発的なものにならない限り、おそらくはそのような対応で十分であろう。
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