コラム

学者による政策提言の正しいあり方──学術会議問題をめぐって

2020年10月18日(日)13時00分

日本学術会議は、東日本大震災後、復興増税提言も行っている...... DIPA-iStock

<日本学術会議の最大の問題は、科学的観点のみによっては合意不可能であるはずの政策的な判断を、あたかも専門家による科学的観点からの総意であるかのように装って一般社会に提示している点にある...... >

菅義偉政権が誕生して一ヵ月にもたたないうちに、思いもよらない騒動が巻き起こった。それは、日本学術会議が決めた新会員候補のうちの6人の指名を政府が拒否したという、いわゆる学術会議問題である。この問題が明らかになって以来、メディアやネットでは、この政府の対応の是非をめぐる論議が拡大し続けている。

筆者は、政府に就任が拒否された6人の方々の学問的な業績や政治的な立場については、ほとんど何の知識も持っていない。したがって、この政府の判断それ自体に関しては、筆者は是とも非とも言うことはできない。にもかかわらず筆者がここで私見を述べる必要があると考えたのは、この問題が「一般社会に対する専門家の政策的な発言や関与のあり方」という、筆者がこれまで経済政策学の観点から追求し続けてきた論点に深く係わるものであるように思われたからである。

筆者自身もそうであったが、世間一般の人々はもとより研究者の多くも、日本学術会議がこれまでどのような活動を行ってきたのかに関しては、ほとんど何の認識も関心も持っていなかったに違いない。しかしながら、今回の騒動ははからずも、日本学術会議がこれまでに行ってきたさまざまな活動の実態を瓢箪から駒のように露出させ、それをメディアやネットに拡散させる契機となった。そこには、科学技術政策に関するものだけでなく、経済政策をも含む公共政策に関連するものも含まれている。

筆者がその実情を知ってまず感じたのは、「日本学術会議の活動のある部分は、純粋な科学者的観点というよりは、一定の価値判断やイデオロギーに基づいて展開されているのではないか」という問題点である。その価値判断はおそらく、学術会議に属する特定の個人やグループの意図を反映したものではあっても、研究者全体の総意や合意を反映したものではない。そして、それは当然ながら、有権者の集合的な価値判断とも合致していない。

したがって、民主的な手続きを通じて有権者全体の価値判断を反映して成立している政府と、それとはまったく無関係に独自の価値判断に基づいて活動している日本学術会議との間には、いつ対立や齟齬が生じてもおかしくはなかったのである。今回のような対立がこれまで表面化することがなかったのは、おそらくその時々の政府が、学術会議を毒にも薬にもならない存在として事実上無視してきたからにすぎない。

日本学術会議あるいはその立場を擁護する側は、今回の政府の決定について、「時の権力によって学問の自由が侵害された」といった内容の批判を行っている。確かに、学術会議が一般の学会のような純粋な学術組織であったのであれば、政府がその人事にむやみに介入するのは不当である。しかし、学術会議がそのホームページで自ら明示しているように、「政府に対する政策提言」は、学術会議の重要な役割の一つなのである。それは、科学的真理の追求といった学問的研究活動一般とは次元の異なる、広い意味での政治的活動である。

学術会議がこのような政治的目的を付与された政府の一組織として位置付けられている以上、政府は当然、民意を背景とした自らの政策遂行のために、そこに何らかの影響力を行使しようとするであろう。学術会議側がもしそのような事態を避けたいと考えるのであれば、海外のほとんどの学術アカデミー組織がそうであるように、財政も含めた政府からの完全な独立が必要である。あるいは少なくとも、特定の価値判断を伴う政策提言のような活動は基本的に避けて、研究活動の支援や科学的知識の啓蒙的普及といった非政治的な活動に自らを限定すべきである。

しかし、実際の日本学術会議は、そのような分をわきまえた存在ではまったくなく、きわめて独善的に、一方の政治的立場に基づく「提言」を自由気ままに行ってきたのである。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米国株式市場=S&P・ナスダック最高値更新、貿易交

ワールド

G7外相、イスラエル・イラン停戦支持 核合意再交渉

ワールド

マスク氏、トランプ氏の歳出法案を再度非難 「新政党

ビジネス

NY外為市場=ドル対ユーロで約4年ぶり安値、米財政
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 2
    普通に頼んだのに...マクドナルドから渡された「とんでもないモノ」に仰天
  • 3
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。2位は「身を乗り出す」。では、1位は?
  • 4
    「パイロットとCAが...」暴露動画が示した「機内での…
  • 5
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 6
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 7
    ワニに襲われ女性が死亡...カヌー転覆後に水中へ引き…
  • 8
    飛行機のトイレに入った女性に、乗客みんなが「一斉…
  • 9
    自撮り動画を見て、体の一部に「不自然な変形」を発…
  • 10
    顧客の経営課題に寄り添う──「経営のプロ」の視点を…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 3
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門家が語る戦略爆撃機の「内側」と「実力」
  • 4
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 5
    定年後に「やらなくていいこと」5選──お金・人間関係…
  • 6
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 7
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 8
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 9
    サブリナ・カーペンター、扇情的な衣装で「男性に奉…
  • 10
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 6
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 7
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 8
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 9
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story