コラム

国債が下落しても誰も困らない理由

2017年05月11日(木)06時50分

国債価格変動のビルトイン・スタビライザー機能

以上のように、日銀保有国債のキャピタル・ロスは、統合政府ではすべて相殺される。そのことは、公的年金ファンドなど、他の政府関連組織が保有する国債についても同様である。相殺されずに残るのは、もっぱら民間金融機関などの民間部門が保有する国債分のキャピタル・ロスである。この事実はあるいは、一部の論者が喧伝してきた「国債金利が上昇して国債価格が下落すれば一部の民間金融機関は経営困難になる」という国債下落金融危機論に、一定の根拠を与えるようにも見えるかもしれない。

実際には、この国債下落金融危機論は、部分的に生じる事象を針小棒大に膨らませた、「木を見て森を見ない」議論の典型にすぎない。確かに、資産運用をすべて固定利付きの長期国債で行っているような金融機関が存在するとすれば、それは国債価格が下落すれば確実に困難に陥るであろう。しかし、金融機関の収益は本来、政府財政の仲介からではなく、民間経済主体間の金融仲介から発生しているのである。そこから得られる収益は、一般には、景気が改善して経済成長が実現されている時にこそ大きくなる。つまり、国債金利が上昇している時こそ拡大しているはずなのである。

異次元金融緩和の出口では、日本経済は既に完全雇用を達成し、賃金や物価が高まっていき、インフレ率は目標とされている2%を安定的に達成しているはずである。その時の名目経済成長率を3%とすれば、国債金利も最終的にはそれに近い水準まで上昇することになる。その状況では、金融機関が民間部門の金融仲介から得られている収益もまた、循環的には最大限に拡大する局面を迎えているはずである。

それとは逆に、景気後退局面では、金融機関の金融仲介収益は縮小する。実際、1990年代の日本や2000年代のアメリカの金融危機が示すように、金融危機の多くは、景気が悪化して国債金利が低下するような局面においてこそ生じている。それは、民間金融機関の多くにとっては、保有する国債のキャピタル・ゲインよりも、他の保有資産のキャピタル・ロスや金融仲介収益減少の方がはるかに大きいからである。

このように、民間金融機関が国債保有から得られる収益は、一般的には金利が下落する景気後退期に増大し、金利が上昇する景気拡大期に減少する。これは、民間金融機関にとっての国債運用収益が、景気変動に対するバッファーとして機能していることを意味する。

上述のように、金融機関の金融仲介収益は、通常は景気に対して順応的な動きを示す。それに対して、国債運用の収益は、もっぱら反循環的な動きを示す。民間金融機関はこれによって、不況期を何とか堪え忍ぼうとする。そして、余裕ができた好況期になって、ようやくそのツケ支払うことになるのである。

これを政府の側から見れば、国債金利が上昇する景気拡大期には財政的なゲインが生じるが、景気後退期には財政ロスが生じていることになる。これは、政府財政の重要な役割の一つとしての、景気に対するビルトイン・スタビライザー(自動安定化)機能の現れと考えることができる。

一般に、景気後退期には税収減などによって政府財政が自動的に赤字化し、景気拡大期にはその逆が生じる。政府財政赤字とは政府から民間への財政移転であり、黒字はその逆であるから、それは結果として景気変動を自動的に安定化させるように作用している。それが、政府財政のビルトイン・スタビライザー機能である。不況期の増税が問題なのは、それがこの財政の持つ安定化機能を阻害してしまうからである。

同様なメカニズムは、民間金融機関の国債保有を通じても働く。景気後退期に生じる国債のキャピタル・ゲインは、金融システムの安定化と景気の下支えに寄与するような、政府から民間への財政移転である。景気拡大期に生じる国債のキャピタル・ロスは、政府が逆の財政移転によって、それを循環的に取り戻そうとするものなのである。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

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